生まれは天津、育ちは北京。親父の出身地は東北地方の遼寧省だが、さらに四代を遡ると、太公望(姜姓)の故郷である山東省の牟平県に辿り着く。満州の「封禁」(女真族の発祥地なので移住禁止の政策)が緩和された清末、山東省から移住してきた、という。
ちなみに日本で釣りの神様に俗化された「太公望」は釣り師ではなく、春秋時代の政治家、策士、兵法家だったのである。「太公望」とは、周朝の先代君主(太公)が望んだ策士の意味から来た称号で、文王との出会いは、渭水の釣場だったのである。「太公望」の呼び名のほかに、姜太公、姜子牙、呂尚、呂望など、といろいろがあるが、陜西省の姜水に繁衍し、のち東遷して現山東省の日照、臨沂(呂国)に定住した。「東夷」と呼ばれた時代もあり、沿海地域の優れた文化と軍事力を背景に中原の殷商と対立した。子牙はこの姜氏一族から出た才子、「大器晩成」の戦略家で、孫子兵法の原点である「六韜」の作者でもある。一方、なぜか若い時の活動が殆ど知られず、世に伝わったイメージは、揃って白髪蒼々の老人ばかりである。この老人は横暴な商紂を倒す抱負を抱き、一人で西に向かい、雨笠煙蓑、直針垂釣、賢王の出現をひたすら待ち続けた。後文王を助けて周の国勢を興し、また武王の軍勢を率いって牧野で商紂軍を破り、西周の盛世を開いた。周が天下を治めたあと、功労者姜子牙は山東の地を封され斉の国(都は営丘)を創立し、この斉はのち戦国時代の雄となって威名を馳せたのである。
姜の苗字に関しては、多くの美しい伝説があり、史書の第一頁を飾る苗字でもある。というのは、中華民族の始祖炎帝は姜姓だったためである。中国人はよく自分たちを「炎黄の子孫」という。それは、「炎帝」と「黄帝」が軍勢を率いて中原で戦い、その子孫達がのち和解・融合して中華民族を形成したとの伝説による。神話伝説の中「炎帝」はまた、「炎帝神農氏」とも呼ばれ、神農氏と同一人物だといわれる。そうすると、中華民族の半分は、「姜」姓炎帝の子孫になるだけでなく、さらに五穀、農耕、本草を発明した神にまで遡る。今の姜姓にして鼻が高いが、まことに恐れの多い話でもある。
またさような勇ましい戦争の伝説だけではなく、姜の原意は美しい女であることを知っている人は案外に少ない。『詩経』には「美孟姜矣」の句があり、「美」という字の解釈(意解)にもよく使われる。美は孟姜だ、という意味。孟姜は特定の人物ではなく、姜姓の長女と解釈される。美人の中の美人の代名詞だろう。また、民間伝説には、「孟姜女哭倒長城」の話もあり、秦の始皇帝の暴政を批判する話で有名である。孟姜女の夫が万里長城の工事に徴用され家に帰らず、夫の消息を尋ねにきた孟姜女の慟哭により、長城が崩れ夫の遺体が出た、という。ここで「孟姜女」も特定人物ではなく、美しい新妻の代名詞の意味で使われている。
字解では、「羊」に下が「女」、羊の顔をした女である。羊の顔は美しいか、よく分からないが、白さと優しさが古代の貴婦人の憧れだったのだろう。ちなみに「美」も姜と同じ語源で、「美」は「大」きな「羊」の意味である。大きな羊は遊牧社会の古代で珍重されることは間違いないが、美意識からいうと、大きな羊より、女の羊の方がより「美」の原意に近いと思われる。古代では、「美」は広義の美しい、「姜」は女性の美しいに使い分けていたのだろう。歴史上の貴族、王族の妻后に多くこの苗字が使われている。
このような悠久の歴史と美しい意味を持つ「姜」ではあるが、現在、なぜかショウガの当て字に使われている。日本だけの現象ではなく、中国でもおなじである。ショウガの漢字は「薑」であるが、書くのは難しいので、同発音の姜を使って代用した、といわれる。ただ、この誤用は明かに歴史、文化に対する冒涜なので、このような言い方は中国で、特にインテリーに軽蔑されている。自己紹介の場合かならず「美女の姜」と付け加え、ほかのジャン(江など)と区別する。このばあい、「ショウガの姜」という人もいるが、「無教養のやつだ」と面と向かって言わないが、心の中で軽蔑の念が起こる。
でも、時光が流逝。だんだん無教養の連中が世の中に充満し、この「姜」をめぐる美しい歴史、伝説を知る人がむしろ少数派になっている。嗚呼!
日本近現代史専攻

1953年生まれ 中国籍
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1991 早稲田大学第一文学部助手
1993
岡山大学教養部助教授
1994 岡山大学文学部助教授
2004 岡山大学文学部教授
2006 岡山大学大学院社会文化科学研究科教授