5. 代謝ネットワークと社会的ネットワークの類似性について

 自分自身が原子になってみたとすると、代謝ネットワークはどのような意味を持つであろうか?

 原子を人に擬えるならば、化合物は、家族、学校のクラス・サークル、会社等の人の集まり、communityに相当する。生体内化合物は、炭素、水素、酸素等の原子から構成されている。多くの化合物には複数個の炭素原子が含まれる。炭素が炭素以外の原子に変換されるというようなことは通常の条件では起こりえないが、化合物内で、同じ炭素原子が、その存在する場所によって電子分布・反応性等で異なる性質を示す。即ち、代謝産物内の化学結合によるつながりを介する原子ネットワーク内でのトポロジカルな位置により、原子の性質の違いが生まれてくる。原子にとってネットワーク内での位置は一種の環境である。一方、人の集まりは、友人関係・夫婦関係・同僚などの人間関係を介してネットワークを構成している。各個人が個性を持つ一方で、人間関係ネットワーク内での位置に応じた力、性格を与えられる。さらに、ネットワーク内での位置がその人本来の性質に影響を与える場合もあろう。即ち、個人にとってもネットワーク内での位置は環境である。また、会社が合併するように、2つの化合物からひとつの化合物が生成することもある。原子・化合物・代謝産物内のつながりは個人・community・人の間の関係の良い比喩になる。

 さらに、ある化合物に含まれる特定の原子に注目すると、この原子が代謝されていくことは、この原子が順次異なる化合物の中に取り込まれて、原子をとりまく周辺環境が変化していくことに相当する。このことは、個人がライフサイクルの中で入学・卒業・就職・結婚などで異なるcommunityの中に入っていき、その周辺環境が変化していくことによく似ている。極言すれば、原子にとっての代謝とは人にとっての人生であると言うことができるかもしれない。

 代謝ネットワークで、原子が継時的な代謝産物間のつながりを介して化合物間を移動する様子は、ひとりの人が色々なcommunityに入ったり出たりする様子とよく似ている。一方、原子間の化学結合によるつながりの種類が限られているのに対し、人と人との関係のありようは多様であり、この点は似ていない。しかしながら、原子をノードとして考えた場合に代謝ネットワークと人のネットワークの間で既に述べたような対応関係が見られたことから、両ネットワークの研究において、原子と人を対応させて2つのネットワークを比較対照することは意味があると考えられる。