安全保障関連法案に関するメモ1


 BSフジ「プライムニュース」での議論へのコメント

・今回の法案は、ぎりぎり憲法解釈で許される範囲で作成した。

←多くの憲法学者は、明白に違憲だと指摘している。ぎりぎりではなく、あきらかにアウト。

・安全保障環境が大きく変化してきた。東西冷戦が終結し、大国が守ってくれるという状況ではなくなった。

←東西冷戦の体制が崩れた今、ではなぜ米国だけと同盟関係を強化するのか。

 むしろ、米国だけではない、多元的な同盟、協力関係を築くことが、安全保障を高めるうえで必要ではないのか。(中国などを念頭に)自由や民主主義といった価値を共有する国とでなければ同盟関係を築けない、というのであれば、同一の価値=イデオロギーにもとづく東西冷戦構造はむしろ継続していることになり、冷戦後に劇的に変化したという前提が崩れる。

 いま世界で起きている変化は、国対国の戦争ではなくなった、ということ。つまり同盟関係によって抑止力を高めるという構図は、もはや成り立たない。「テロ」に対して、「軍隊」は抑止力にならない。軍事的に大国になり、米国に追随すればするほど、むしろテロの標的になり、国民の平和と安全が脅かされる危険性は高まる。

・中国の軍事費が、過去20年間(1991〜2012)で6倍〜7倍に増大している。

←同時期(1991〜2012)、日中の貿易総額はおよそ15倍ほど増加している。

 軍事費だけの増大に言及して「脅威」をあおるのは間違い。いまや日本には中国製品があふれ、中国にはたくさんの日本企業が進出し、「戦争」が起きた場合、両国が被る経済的損失は、かつてないほど大きくなっている。つまり経済的にみれば、戦争が近づいてきている、という認識は正しくない。

 ちなみに、米中の貿易総額も、同期間、同等かそれ以上、増加しており、いまや中国が1兆二千億ドルもの米国債を保有していることからも、米国と中国が戦争状態になることも経済的には現実的ではない。

 また、隣国の軍事費の増大に対して、軍事費を増加させる対応は、現実的のようでいて、かならずしもそうではない。互いに軍拡を行い、脅威を高め合えば、最終的にはより戦争の危機が近づく。この軍事的抑止力の矛盾は、冷戦期の米ロの歴史を振り返れば明白。

・北朝鮮が核開発を進め、300発のミサイルが日本に向けられている。だから日米の軍事協力が不可欠。

←ミサイル防衛システムは、かならずしも100%、ミサイルを迎撃できるわけではない。

 いくら日米の防衛協力進め、ミサイル迎撃システムを整備しても、もし核弾頭を積んだミサイルが、300発発射され、そのうち1発でも首都圏に着弾すれば、それで終わり。たとえ迎撃体制を整えることに一定の抑止力があるとしても、それだけに頼らず、いかに打たせない関係を築くかがより重要なのは明白。核兵器時代の安全保障は、戦争が起きたらどうするか、攻められたらどうするか、という問いでは語れない。戦争が起きないようにするためにどうするか、という問いしかない。起きてしまったら、すべてが終わるわけだから。

 軍事的な脅威に対して「抑止力」を高める必要性はあるにしても、その抑止力は、かならずしも軍事的な対応だけとは限らない。むしろ軍事的な対応は限界が多い。経済関係を深め、紛争を起こすことが、双方の国の安定を脅かす状況をつくると同時に、外交的にも緊張関係に陥らない道を探ることが必要。

 戦前、日本では、新聞などを含め、むしろ国民のなかに政府の弱腰を批判する強硬論が根強かった。政府の役割は、いたずらに脅威を煽るのではなく、冷静に隣国との友好関係を築ける環境を整えること。

 今後、起こりうる安全保障上の脅威は、きわめて小規模な局地的戦闘やテロ。原発にミサイルが撃ち込まれたら、という話がでたが、原発を爆発させるのに、格納容器を破壊する必要がないことを、我々は福島第一原発の事故で学んだ。供給されている電気を遮断し、バックアップ電源を破壊するだけで、原発はかってに爆発し、放射能を拡散させる。

 小規模なテロ集団が、手榴弾程度の武器で原発周辺に侵入するだけで、核爆発を起こせることになる。ここでもミサイル防衛システムも、日米同盟も、自衛隊の軍事力強化も、ほとんど意味をなさないことがわかる。テロを起こさせないようにするには、テロ組織の「敵」にならないことが、もっとも重要。