<学生>のみなさんへ  


 4.「ゼミ」という場

最近、ゼミをはじめるとき、きまって次のような話をする。
「みなさんがこれから社会で生きていくなかで必要なことの多くは、このゼミの場で学ぶことができます」。

仕事をする、ということの基本は、複数の他者との言葉/アイディアのやりとりにある。
職場の上司や同僚だけでなく、取引先の企業や営業先の顧客など、
いろんな相手との「会議」や「打ち合わせ」がみなさんを待ち受けている。

そこでは、ゼミくらいの少人数のなかで、情報をやりとりし、ひとつのテーマについて議論したり、
自分の意見を表明したり、他の人の発言に質問やコメントをする。
社会に出てからは、何度となく、いろんな場面で、それをくり返していくことになる。

そのとき、情報を誤解のないように相手に正確に伝えなければならないし、
自分の考えを相手にわかってもらえるように説明できなければいけない。

逆に、他の人の言葉にわからない点があれば、きちんと問いただして理解しないといけない。
相手の考えに弱い部分や足りない部分があれば、わかりやすくその問題点を指摘しなければならない。
こうした「対話」をとおして、よりよいアイディアを出すことが求められる。

そのすべては、「ゼミ」のなかで行われる。

でも、「問題」とか「よりよいアイディア」に、最初から決まった答えはない。
アイディアを出す決定的なスキルとか、これさえ覚えればすべてが問題解決できる方法なんてない。

「3.理解すること」でも書いたように、物事の結びつけ方としての「理解」にはさまざまな可能性がある。
自分が正しいと信じた理解が、ほんとうによりよい理解なのか、それは別の意見との照らし合わせのなかでみえてくる。
見解を示しあうなかで、相互の位置関係がみえてはじめて、自分が「まだ理解していなかったこと」を知ることができる。
ゼミは、いろんな理解の可能性を示しあう場でもある。

みんなが同じ意見しかもたず、「答え」に至る道筋がひとつしかないのであれば、ゼミという場の意義は乏しい。
考え方や価値観の異なる人間が複数いるからこそ、ゼミでの「対話」に創造性が生まれる。

「ゼミ」の場に「ただいること」に、意味はない。
「わたしも同じ意見です」も、いらない。
できるだけ(無理やりにでも)、違った視点から、違った意見をひねり出してみる。
そうやって参加者みんなが多様な立場から発言することが欠かせない。

ひとつの意見を、まったく異なる角度から考えてみる。
すると、まともだと思っていた見解にも、違う理解の可能性が出てくる。
「わかった」と思っていたことが、じつはあまりわかっていなかったことがみえてくる。

あたらしいアイディアを無からひねり出すことは至難の業だ。
ぼくらにできるのは、異なる要素の間にあらたな「つなげ方」をみつけることくらいだ。
その創造性の源泉は、わたしとあなたの「差異」にある。
それぞれが少しずつ違う人生を歩み、異なる考えや価値観をもっている。
その「違い」を架橋する対話が、創造性をうみだす。

「違い」を活かし、「違い」を照らし合わせながら、あらたな可能性の扉を開く。
「ゼミ」とは、こうした創造のプロセスを実践する場であり、大学で学ぶべき「知恵」を体得する現場でもある。

2011.6.16

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