<学生>のみなさんへ  


 5.+思考/−思考

プラス思考とマイナス思考といえば、楽観的で前向きな考え方と、悲観的で後ろ向きな考え方という意味もある。
ここでは別の意味でその言葉を使ってみたい。

要素を足して考えるのか、引いて考えるのか。
この点は、大学での「学び」や「知恵」に大きく関わってくる。

前にも書いたように、物事の「理解」には何通りもの可能性がある。
「理解する」には、まず物事を位置づけるための要素を特定する必要がある。

今日は、とても暑かった。
この「暑さ」の原因について、ニュースでは、全国的に太平洋高気圧に広く覆われたから、と説明していた。
その説明は、おそらく「正しい」。

しかし、この「暑さ」について、地球温暖化が関わっていると説明する人がいるかもしれない。
また別の人は、太陽活動の活発化が関わっているというかもしれない。
そのいずれが「正しい」のか、現時点ではわからない。

ただし、そうした「科学的」な説明はひとつの説明の仕方に過ぎない。
それらは、「わたしが暑かった」ことの説明になっていないからだ。

今日、「わたし」は、あるお店を探して炎天下を歩き回っていた。
時間がなく、きちんとした地図をプリントアウトしてくるのを忘れたのだ。
店に入ってからも額から汗がふきだしつづけて、こんな日に外出したことを悔やんだ。
ずっとクーラーのきいた家にいれば、「暑く」なかったのに、と。
このとき「暑かった」ことの説明は、「わたし」の行動や判断との関係で理解/説明される。

あるいは、がんばって節電している人が「暑かった」のは、クーラーを我慢していたから、となるかもしれない。
このときの「理解」には、太平洋高気圧も地球温暖化も関連する要素から除外されている。
むしろ、現在の電力供給の問題、ひいては原発事故のことが要素として関わってくる。

ふつう自然科学的な思考では、要素を限定してマイナス思考で物事を説明する。
まず、その「暑さ」は、地球規模のスケールではなく、日本列島というスケールに限定して考察される。
そして、人が感じる「暑さ」は「気温」というかたちで一般化して表現され、個々人の感じ方や行動の違いは除外される。

一日中、クーラーのきいたオフィスにいた気象予報士も、「今日は暑かったですね・・・」などという。
そのニュースをクーラーのきいた部屋で観ている人も、「暑かった」ことを「事実」として受け止める。

しかし、「事実」は、関係する要素を増やして、プラス思考でとらえると、かならずしも「事実」ではなくなる。

大学での学びには、少なからずこのプラス思考が求められる。
一般的な「理解」とされている要素に別の要素を追加して考えてみる。
限定されていた範囲を広げて、物事をとらえなおしてみる。
すると、それまでとは違った「理解」が可能になる。

「学者」の言うことが人によって違う理由のひとつも、ここにある。
ある人は考慮する要素を限定し、また別の人は違うスケール、違う範囲の要素を加えて考えている。

最近、原子力発電をめぐって、よく「リスク」や「コスト」の話が出される。
そこで出される数値や判断に大きな違いがあるのは、どの時間軸で、どの範囲の要素を考慮に入れるかによるからだ。

「専門家」のくせにきちんと「答え」が出せなくてどうする、とお叱りを受けるかもしれない。
しかし、この世のなかの多くのことには、模範解答のように、きれいな単一の「理解」や「答え」は存在しない。
その「答え」は、あくまでも前提とされる要素の範囲内での暫定的なものにしかならない。

ぼくらは、この限界のなかで物事を判断し、意志決定していくしかないことを、まずふまえる必要がある。

では、なぜわざわざふつうとは違う「理解」が必要なのか。
それについては<構築>人類学・第2シリーズに書いたので、そちらをご覧ください(追記)。


2011.7.9

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