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第8号 2006年2月 |
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2005‐2006年度学期に当たって 日本語教育学科長 近 藤 幸 子 本学創立2年目の1993年に日本語教育学科が設置されてから12年が経過した。日本人教員3人と学生18人で始まった学科も、現在日本人教員9人、トルコ人教員2人、トルコ人研究助手5人(現在日本の大学院に留学中―博士課程2人、修士課程―3人)、そして、学生数145人の大所帯となった。今学期は日本人教員の大幅な入れ替わりがあり、4人の新しい教員を迎えたが、合計数9人は1997年以来変化していない。 他機関の先生や他国の日本語教育関係者によく驚かれるのは、「日本人の先生が9人もいるんですか」ということである。9人在職している理由は次のような事情による。 (1)トルコでは日本語教育の歴史が浅く、トルコ人の日本語・日本研究の専門家の数が非常に少ないこと。(2)本学科は教育学部の外国語教育学科の一つで、日本語教師の養成課程であり、外国語教師養成課程は語学だけ集中的に教育する予備クラスを含め教育期間が5年間であること。(3)教員養成課程に必須の教育実習を受け入れる中等教育機関がチャナッカレにないため、本学科の予備クラスで、教育実習を実施せざるを得ない状態であり、そのための教員も必要とすることであること。 全員が大学との直接契約で採用された講師で、勤務条件は国家公務員に準じている。現在の態勢を維持できているのは、ラマザン・アイドゥン学長の日本語教育に対しての理解からである。現在2期目にあるが、1998年に学長として着任して以来、年々大学全体の教育環境を整備、改善していくとともに、特に日本語教育学科に対しては、日本人教員への宿舎の提供、給料の引き上げなどの待遇改善に尽力してくれた。同時に、日本語・日本研究の専門家を育成することに力を注ぎ、アンカラの日本大使館へ赴き「トルコ人の日本語・日本研究の専門家」育成について、当時の竹中大使と協議し、協力を求めた。それ以降、文部科学省の研究留学生の大使館推薦枠の日本語・日本研究関係の採用人員が増やされ、この分野で日本の大学院に進学する者の数が増加している。そして、将来学科を担う研究者・教育者を育成するために本学科では毎年研究助手採用の枠が認められてきた。1999年からこれまでに5人採用されたが、研究助手は学科で1年半務めた後、文部科学省の奨学金で日本に留学している。順調にいけば、2008年には現在博士課程在学中の2人が戻り、翌年からも順次1人ずつ戻る予定である。また、本学は日本財団から「日本語教育基金」を受贈されており、この基金の奨学金が日本語教育専門家の育成に使われている。この奨学金によってすでに1人のトルコ人講師が誕生しており、この4月からさらに1人が学科に加わる予定である。 トルコ人の日本語・日本研究分野での専門家が育ち、教壇に立つようになれば、日本人教員の数は徐々に減少していくであろう。そして、若手のトルコ人研究者が増加するに従って、トルコの日本語・日本研究もいっそう活発になり、トルコ語による日本関連図書が出版される時代が訪れるであろうと期待している。それまで、日本人教員が果たす役割を全員協力して真摯に続けていきたいものと心を新たにしている。 |
チャナッカレ日本語教育通信第8号 |
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P1 2005‐2006年度学期に当たって P2 アンカラ弁論大会報告
P4 留学・研修プログラムについて P5 愛媛大学での1年間 P6 第9回松下国際財団助成による日本語・日本文化研修旅行 及び 麗澤大学助成による東京研修 |
P7 アジアの西の最先端で東の最先端を聞く P8 作文の授業での取り組み P9 2005年度卒業論文を振り返って P10 第23回ユニバーシアード競技大会 P11 新任教師の自己紹介 P12 お知らせ:トルコ語ホームページを刷新 |
アンカラ弁論大会報告 講師 野 中 聡 美 2005年12月11日(日)、土日基金文化センターにて第14回アンカラ弁論大会が開かれました。本校からはBグループ(大学または高校で日本語を専門に勉強している学生のグループ)に5名の学生が出場し、3名の学生が優勝(1位)、特別賞(3位)、努力賞(4位)を獲得しました。 Bグループのテーマは「環境」です。ともすると漠然となりがちな難しいテーマでありながら、学生たちはそれぞれ自分の家庭環境や自分の故郷の環境汚染といった身近な問題に引き付け、具体的な作文を練り上げていきました。そして、本番まで毎日毎日それこそ何10回となく繰り返し練習を重ねました。 弁論大会での入賞結果は、彼らの努力の結晶にほかなりません。しかし、この弁論大会はもっと大きなものを学生たちにもたらしました。それは、「自信」です。今回特別賞を受賞した2年生のドウィグ・カラバーさんは、勉強熱心で少し控えめな学生でした。ドウィグさんが弁論大会への出場を申し出たとき、私は少なからず驚きました。おとなしいという印象が強かったからです。ところが、練習を重ねるにつれて彼女は日に日に強くなっていきました。練習のために初めてクラス全員の前でスピーチを披露したときには、伏し目がちで声も小さく、緊張のあまり途中でスピーチの内容を忘れてうつむいたりしていました。しかし、その後の練習により原稿はすべて暗記し、本番では最初から最後まで大きな声でゆったりと、大勢の聴衆を前に気後れもせずに堂々とした態度でスピーチをやり終えたのです。顔の表情や声の調子も練習のときとは比べ物にならないほど生き生きとしていました。 その後のドウィグさんは、以前と同様熱心に日本語を勉強しています。しかし、明るさと積極性は以前の何倍にも膨らんでいます。ドゥイグさんの強さは、私が気づかなかっただけで、本当はもともと彼女の内に備わっていたものだったのでしょう。それが、弁論大会を一つのきっかけとして外側へと表出したのだと思います。今回本校から出場した他の4名の学生も、他大学から出場した学生のみなさんも、きっと同じように何らかの内面の変化や成長を経験しているはずです。 スピーチの原稿を産み出すのは苦しい作業です。大勢の人の前で話すのは誰でも緊張します。また、本番での失敗を恐れない人もいないでしょう。けれども、すべてを乗り越え自分の努力でつかみ取った「自信」は、誰にも奪うことの出来ない大きな財産になるに違いありません。
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・優勝弁論
青い夢 3年 エダー・セルマ・アクヤザン 私、夢を見ました。 夢で私は広大な海がせいめいをくださった小さい魚でした。泳ぎながら空にかもめを見ました。雪のように白くてとても大きかったです。ちょっと後さっきのかもめをもう一度みました。でもこんど、海の中で黒くなっていました。よくみてかもめが廃液の中にいるのが分かりました。かもめが怖がっていて海が暗くなっていました。
泣きながら私の涙は海の中でなくなりました。かもめもなくなりました。海の暗さの中で死にました。どうして!!と考えました。周りを見て理由が分かりました。ちょっと前に沈んだ船がありました。船から海に黒いどくが注いでいました。私の青い家はどんどん汚れていました。船から逃げる人もいました。その場面をじっと見てどくが私の所に来るのが見えませんでした。突然私もそのどくの中にいるのが分かりました。私の体もその毒の中で黒くなっていました。逃げるようにがんばりました。でも、そのどくの中で固まりました。いま、毒が体の中に入ってきました。その毒が私の体の中でゆっくりでもどんどん多くなっていました。体のどこにでもひどい痛みがありました。痛みを遠ざけるためにきれいな何かを考えようと思いました。でも、息が止まりました。目が覚めた後も息が止まっていました。 私たちは新聞とかテレビで船の事故のニュースを見ると、その船にいる人々だけ考えて悲しくなります。汚れた海のせいでどのぐらい動物が死んだかと考える人はどのぐらいでしょうか。私はトルコの南にあるマリマリスというきれいな町の出身です。子供の時マリマリスの海はとてもきれいで太陽の下でいつもピカピカでした。時間がたつにつれてマリマリスは有名になりました。それでマリマリスに来る人の数も増えました。それにともなってたくさんホテルが建てられました。また、ヨットのせいでそのきれいな海が見えなくなりました。今ヨットはごみを海にすててホテルやヨットのトイレの汚物はずっと海に流れています。子供のころのマリマリスと今のマリマリスはぜんぜん違います。環境をもっときれいにするとか環境問題について思う時人々は人間のことだけ考えて解決しようとします。私はこの夢のおかげで自然破壊と環境問題を他の生命の目で見ました。人間はその世界にいる生命の一つです。でも人間は他の生命がいないように生活を続けています。 大自然はすべての生命に生きるために豊かな資源をあたえます。この生命の中で人間だけは大自然に痛みを与えます。 私、小さい魚の気持ちで環境をみました。皆さんも一度試してください。 |
留学・研修プログラムについて 講師 渋 谷 博 子 本学科で日本語を学習している学生には、いくつかの日本へ留学できるプログラムが提供されており、毎年平均6,7名の学生が日本へ留学し、大きく成長して母校へと戻ってきます。 本学科の教員はほとんどが日本人ではありますが、チャナッカレには教員以外の日本人は在住しておらず、学んだ日本語を使う機会が乏しいのが現状です。学生達は「教科書の日本語」「教師である日本人」以外の日本と接したいと希望し、日本への留学を夢見ていますが、トルコから日本への私費留学は経済的な面で大変厳しく、奨学金受給の留学が一般的です。成績優秀であれば奨学金をもらいながら日本で勉強できるチャンスがあるということで、日本への留学は日本語の勉強の大きな動機付けとなっているようです。 以下に、これらのプログラムについてかんたんにご紹介致します。(詳細や留学した学生の声については別項を設けてありますので、そちらもご拝読ください) 毎年学生達を受け入れてくださっている関係機関の方々に紙面を借りてお礼申し上げます。 |
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<留学・研修プログラム一覧> 1.文部科学省国費外国人留学生(研究生/研修生/学部生) ・在トルコの日本大使館による筆記試験と面接試験に合格した学生 ・研究生は大学卒業後、研修生は一年間の学部留学、学部生は5年間 2.岡山大学推薦文部科学省国費外国人留学生(研究生/研修生) ・交流協定校である岡山大学に学内選考および岡山大学の面接あるいは メールインタビューで選ばれた学生が留学 3.愛媛大学奨学金留学生 ・交流協定校である愛媛大学に学内選考で選ばれた学生が一年間留学 4.松下国際財団日本語日本文化研修旅行 ・3年生の成績上位者4名が夏期休暇期間に研修(2週間) 5.国際交流基金による日本語研修プログラム ・2年生の成績上位者1名が関西国際センターで研修(2週間) ・3年生の成績上位者1名が関西国際センターで研修(6週間) |
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松下国際財団日本語日本文化研修旅行(松下国際財団事務局の皆さんと) |
国際交流基金による日本語研修プログラム(6週間) 研修に参加したハニフェ・チチェクさん(左から二人目) |
愛媛大学での一年間 3年 アリ・イルハン・ベルクタシュ
愛媛大学との交換留学プログラムで、2004年4月から2005年の3月まで、愛媛大学に一年間留学させていただきました。日本語の学習を始めたときから日本に留学したかったので、これは非常にうれしいことでした。留学中には、日本語の言語学や自分の興味のある課題についての授業を受けさせていただきました。約4年間学習した日本語と日本の実際の生活体験ができ、日本や日本人や生きている日本語についていろいろ経験することができました。愛媛大学のある松山は人が非常に温かくて、たくさん友達もできましたし、みんなに優しくしていただきました。トルコに戻ったら、記憶に残っていたのはいい思い出ばかりでした。この一年間の愛媛大学留学は、私にとって非常に貴重な経験です。これからもチャナッカレ大学と愛媛大学のプログラムで、お互いの大学の学生が留学することを願っています。 |
第9回松下国際財団助成による日本語・日本文化研修旅行 及び 麗澤大学助成による東京研修 講師 芳 賀 啓 子 2005年度も松下国際財団から助成をいただくことができ、2週間の日本語・日本文化研修旅行をすることができました。更に今年は、麗澤大学からもご支援をいただき、麗澤大学での4日間の東京研修も実現することができました。7月15日から8月4日までの全行程3週間の研修となりました。 まず、ひろしま国際センターでの日本語研修を受け、その後日本文化研修及びホームステイを体験いたしました。日本語研修では、「今まで学んできた日本語を実際に運用する」ことを目的に、調査発表を行いました。やはり学生の興味は、お墓やお寺、神社といった日本の伝統的なことで、日本人も知らないようなことをお寺の御住職に聞いてよく調べており、外国人から見た日本文化への興味に感心いたしました。発表会では、トルコのお墓やお葬式、モスクへのいろいろな質問が出て、とても面白いディスカッションになりました。日本文化研修では、お花やお茶、ホームステイを体験し、果敢にいろいろなことにチャレンジしました。お花の先生から、お花の生け方で性格が出ると聞いてみんなびっくりしていました。また、毎年広島・チャナッカレの会の皆様が歓迎会を開いて学生達をサポートして下っております。学生達は初めての日本、広島ステイでも安心して過ごすことができました。 その後、大阪へ移動し、松下国際財団訪問とホームステイ、そして大阪、京都、奈良を観光いたしました。今年は、松下電器産業の立派な保養所に泊めていただく機会をいただき、みんな大喜びでした。大浴場での入浴やマッサージ、夕食会、落語、そしてカラオケと大変楽しい時間を過ごすことができ、財団の皆様のお心遣いが感じられました。最初は水着で大浴場に入るといって恥ずかしがっていた学生も、お風呂に入る楽しさを知りました。次の日の朝も早く起きて朝風呂に入るほどになりました。そして、松下国際財団を訪問し、技術館や歴史館を見学しました。この訪問で、学生達は日本の企業がどんなところかを垣間見ることができたことと思います。ホームステイでは、ヒッポファミリークラブの皆様が暖かく迎えてくださり、日本の家庭生活を楽しんだ模様です。
麗澤大学では、「日本の宗教」や「日本の会社」についての講義をしていただいたり、麗澤大学国際交流クラブ「RIFA」の学生達との交流会を開いていただいたりしました。講義では、今回の研修で日本を実際に見て体験した「総まとめ」のような形になり、学生達の日本に対する知識がさらに深まったように思います。また、RIFAの学生の皆さんとディズニーランドに行くことができ、学生達のよい思い出となりました。もちろん、打ち解けた学生の最後のお別れは、涙のお別れでした。 忙しいスケジュールだったにもかかわらず、学生達のこの日本語・日本文化研修に対する感想は、とてもよく、勉強になったことがたくさんあったようです。新しい発見や想像していたことと違っていたことなどもあり、より深く日本を理解できたのではないでしょうか。日本へ行って、実際に自分の目で見、そしていろいろと体験できたことはとても幸せなことだと思います。学生達は一回り大きくなって帰ってきたように思います。皆様の暖かいご支援に感謝いたします。 |
アジアの西の最先端で東の最先端を聞く ― 日本の伝統音楽演奏会 ― 研究助手 アイドゥン・オズベッキ (岡山大学大学院博士後期課程) 日本の第3庭園の一つである岡山後楽園は、岡山はもちろんのこと、日本の中に数ある庭園の中でも年内に行われるイベントの数の多さを誇る。毎年7月の中旬に行われる観蓮節は、早朝ハスの開花を楽しむ行事である。後楽園で咲くハスは、「一天四海」や「大賀ハス」をはじめ数種類である。一輪のハスの花が開花している期間は4日間で、早朝からゆっくりと開きはじめ、昼前には閉じる。夜明けとともに開花していく神秘を見られるのは年に一度の「観蓮節」だけ。そのため、午前4時の開園にもかかわらず開花を待ちわびる人たちでにぎわう。 大月先生が会長を勤めている約20名のメンバーで結成されているJapan Ensembleは日本の各地で個人で活躍される個々専門の達人が集まる特別企画である。「トルコにただ日本の邦楽を演奏しにいくわけではない、本物の芸術と日本の感性をもって行きたい」とおっしゃる大月先生は「ただ音楽を聴いた人は時間が経つにつれて何を聞いたかは忘れるが、本物だけは残る」というポリシーを持っている。
公演の当日チャナッカレ大学のトロイ会館に約500名以上の聴衆が集まり、今までで初めて満席となったそうだ。公演の直前までぎりぎり準備を完成し、公演がメテ・トゥンジョク教授のスピーチによって始まった。眞玉和司と三好芫山による尺八のドゥーエットの後、石笛と呼ばれる不思議な自然楽器の演奏が横沢氏によって公演され、皆さんが始めて耳にするこの不思議で美しい響きに心が打たれたという。その後個人演奏(ソーロ)も合奏団による演奏も数々演奏され、公演が終了したら会場から暖かい拍手とアンコールのコールが会場で響いた。「ただ音楽を聞かせるだけではない、日本の本物の感性も伝えなければならない」とおっしゃった大月先生の言葉の意味を会場の皆さんの感動している目をみてから始めて分かった気がした。およそ2時間かかった邦楽の演奏を興味深く、時には目を閉じて聞いている聴衆は公演が終わったら楽器に自由に触れて、聞きたいことを自由に聞けて「通訳者の数が足りないにも関わらず」言葉の壁を越えて交流できたと思う。 夕方になると大学の関係者との懇親会が開かれ、懇親会で演奏者の皆さんが「アジアの東から来て演奏したにも関わらずまるでアットホームな雰囲気で我々の音楽がアジアの西で伝わったんじゃないかと思う、嬉しいです」とおっしゃっ たので、企画に少しでも携わった私にとっては忘れがたいすばらしい経験であった。大月先生と合奏団のメンバーをはじめこの企画に力を貸してくださった皆様に感謝いたします。 |
作文の授業での取り組み 講師 大 橋 初 子 日本語教育学科は3年ほど前に日本国政府からコンピュータ教室の寄贈を受けました。この施設を有効活用するために、原稿用紙に手書きをしていた従来の作文の授業を段階的にコンピュータベースに切り替えつつあります。コンピュータ導入以降、学生達は様々なトルコ情報を意欲的に書き上げました。今後は学生によるトルコ情報の発信も視野に入れることができそうです。 例として中級レベルの学生が書いた「トルコの東と西の食べ物」と題した作文を以下に掲載しておきますので一読ください。トルコに4年在住する私でさえ知らない情報が一杯です。
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2005年度卒業論文を振り返って 講師 北 川 利 彦 卒業論文は学生が各自設定したテーマに関して担当教員の指導の元、主体的に取り組み、まとめ挙げた 五年間の集大成とも言える課題の一つです。先日、卒業生の数名と半年ぶりに再会した際には「卒業論文を書いている時は、本当に大学レベルの勉強をしているという実感がありました。調査してデータを集め考えるのは苦しかったけど、本当に良い経験でした」との言葉をもらいました。卒業論文は私たち教員に とってもかなり負担がかかりますが、お互いの熱意が相乗効果を生み、学習を促進させていると感じまし た。2006年度は他の専門領域をもった新任教員を迎え、図書もより充実し、取り扱える内容にも以前より幅が出てくるように思います。今の四年生はどんな課題に挑戦してくれるのか、今から楽しみです。 2005年5月に提出された卒業論文は以下の通りです。
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第23回ユニバーシアード競技大会 2005年8月にイズミルで開催された第23回ユニバーシアード競技大会では、本学の学生や卒業生数名が裏方として活躍しました。一人の学生がそのときの経験をまとめてくれました。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ユニバーシアードは世界で行われている二番目に大きい大会です。2005年にイズミールで行われ、トルコのために本当によかったです。さまざまな国から9000人の大学生の選手が来ましたが、これは新記録でした。選手以外に50,000人の外国人が来ました。いろいろな文化といろいろな違う人の間でいい雰囲気がありました。みんなは民族や国籍を問わず友好的な感じで自分の国のために頑張りました。 イズミールはユニバーシアードのためにいろいろな準備をしました。その準備はトルコを案内することなどでした。私は日本人の本部のためにアシスタントとして働いていい経験を得ました。イズミールはユニバーシアードが行われてよく知られるようになりました。次はオリンピックが行われるように願っています。 (3年 ハサン・アイタッチ・ソンメズ) |
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開会式の一こま(アイタッチさん = 後列右) |
記念品を贈呈されるアイタッチさん(手前右) |
新任教師の自己紹介 広田知子(ひろたともこ) チャナッカレにやってきて5ヶ月あまり。街の人々は総じて親切で明るく、食べ物も安くておいしく、とても暮らしやすいところだと思っています。私の出身は徳島県ですが、鳴門海峡の風景とどことなく似ていて、初日からとても近しい感じがしました。 私は主に、ハズルルックと呼ばれる予備教育課程を担当していますが、学生の素直さと学習意欲の高さに驚きつつ、毎日たくさんの“元気”をもらっています。私の役目は、その学生たちのいい“芽”を摘んでしまわないよう、大切に育てていくことでしょう。 ここに来ることができたことに感謝し、これからも楽しくトルコでの生活を送りたいと思っています。 市村美雪(いちむらみゆき) 初めまして、市村美雪と申します。これまで中国、ラオス、スリランカで日本語を教えてまいりました。 こちらでは、ハズルルック(予備教育課程)と1年生の授業を担当していますが、学生たちの学ぶ意欲、吸収力には感心させられっぱなしです。彼らのやる気をつぶすことなく、育てていけるように、精一杯努めたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。 野中聡美(のなかとしみ) 「どうしてトルコなのですか?」――本校に採用が決まってから日本を発つまでの数ヶ月間、様々な方から何度となく同じ質問を受けました。これだけ世界が狭くなった時代とはいえ、私にこの質問をされた方々にとってトルコは身近な海外ではないのかもしれません。あるいは、韓国やタイなど日本語教育がさかんな国とはちがって、どんな人がどんな目的で日本語を勉強しているのだろう、という素朴な疑問があるのかもしれません。 さて、私は同じ質問を受ける度に「親日的なトルコと日本の国際交流に貢献したいから」などと、まるで履歴書に志望理由でも書くように、紋切り型に答えていたように記憶しています(今思い出すと自分でも笑ってしまいますが・・・)。けれども、本当のところ、仕事の場所としてトルコを選んだのは「トルコが好きだから」という一言に尽きると思います。私の専攻は文化人類学とコミュニケーションですが、これまで訪れた国々の中で、地理的・文化的な多様性に富むトルコに、地域研究の対象として最も興味を引かれたのです。それなのに、日本にいた頃はいい年をした大人が「好きだから行ってきます」ではあまりにも単純すぎて周囲への説得力がないと考えていました。 典型的な日本人である私はこれまで無意識に、あるいは意識的に本音と建前を使い分けてきました。しかし、せっかくトルコへ来たのですからそろそろこのへんでしがらみから自分を解放しよう、もう少し自分の感情を素直に表現しようと思います。私の仕事は日本語や日本の社会・文化を教えることですが、実は自分が学生に教えるのと同じぐらいこの国から吸収したいとの欲を持っています。「好奇心があったから来てしまいました」――日本の友人や元同僚の皆様に今この場を借りて本心をお伝えすることにより、自己紹介の文に代えさせていただければ幸いです。 高橋知也(たかはしともや) 2005年の7月まで中央アジア・キルギス共和国のビシュケク人文大学で青年海外協力隊員として活動してきました。それ以前はロシア連邦・極東国立総合大学での教授経験もありますので、ユーラシア大陸を西へ西へと移動していることになります。 赴任してきた当初はキルギスとトルコに似ているところはないかということばかりに注意が向いていましたが、半年近く経って、トルコの文化や生活習慣をそれ自体独立したものとして見ることができるようになってきました。 私にとってトルコはとても興味深い国です。知りたいことがたくさんあります。しかし、やはりいちばん気になるのは学生のことです。学生にとって、この国で日本語を専門とすることにどんな意味があるのか。そんなことを考える毎日です。 |
お知らせ:トルコ語ホームページを刷新 講師 北 川 利 彦 2005年7月に日本語教育学科のトルコ語ホームページを大幅に拡充しました。以前は「学科について」「授業一覧」「授業内容」「教員一覧」など僅かな情報しかありませんでしたが、現在は、「日本への留学・研修」「国際交流」「学科の諸活動」「企業研修」「卒業後の進路」「日本語学科Q&A」等、14項目にも渡り、その文章量はA4で30ページ近くになります。中には在トルコ日本企業一覧や日本と取引のあるトルコ企業データベースへのリンクなどもあります。日本語に興味を持つ高校生がチャナッカレを選んでくれるように、また、在校生に正しい情報を公平に提供し、より有意義な学生生活を送ってくれるようにとの想いが込められています。一学科の情報量としては大学内でも1,2を争う充実度となりました。是非一度ご覧下さい。(http://egitim.comu.edu.tr/bolum/yabancidil/japonegit/japon_index.htm) |
編集後記 一年ぶりの発行となりましたが、目を通してくださり、ありがとうございます。今年度は新任教員が4名となり、入れ替わりの多いスタートでした。慌しいまま前期の授業が終わり、そしてまた後期の授業が始まろうとしています。これからも情報発信を続けてまいりますので、チャナッカレの日本語教育に関心を寄せていただければ幸いに存じます。(T) |
チャナッカレ日本語教育通信(第8号) |
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発行年月 発行人 住所 電話・FAX E−mail 大学ホームページ |
2006年2月 チャナッカレ・オンセキズ・マルト大学教育学部日本語教育学科 Çanakkale Onsekiz Mart Üniversitesi Japonca Öğretmenliği Bölümü Çanakkale 17100 TURKEY +90-286-213-1226 japanese@comu.edu.tr http://www.comu.edu.tr |
* 本通信の印刷・発送費用は「日本財団・日本語教育基金」によるものです。 |