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ポーランド現代経済史

主要な研究対象は、1918年以降のポーランド経済である。研究では、20世紀のポーランド経済をとらえ直す新しい枠組みを提示する。ポーランド現代経済史の新しい枠組みの基礎は、「歴史の継続と断絶」(または、「歴史の連続性と非連続性」)である。これまでポーランド現代経済史研究は細分化されており、独立回復以前、両大戦間期、社会主義期、体制変革後の時代と個別に分析されることが多かった。また、通史においても、それぞれの時期の相互連関を重点的に表現しようとする試みはほとんどなかった。たしかに、機能メカニズムの違う経済体制をひとつの一貫した分析用具で表現しようとするのはきわめて困難である。しかし、前体制のポジティブなまたはネガティブな遺産を次の体制が継承し、それが政治・経済の安定性に大きく影響していること、また、国家の政策課題の多くは体制が変わっても基本的に継承されていることなどを考慮すると、歴史を一貫した視点で分析する必要性はきわめて高いといえる。

 両大戦間期経済をめぐる研究の中心テーマは、(1)農地改革の評価、(2)W・グラブスキの通貨改革、(3)経済的自由主義思想と経済政策、(4)外国資本の役割、(5)エタティズムの評価、などである。

 第二次世界大戦以降の社会主義期をめぐる研究の中心テーマは、(1)人民民主主義期に経済政策思想、(2)スターリン期の強行的工業化、(3)スターリン期の農業集団化、(4)ゴムウカの経済政策、(5)ギエレクの経済政策、(6)経済開放化と累積債務の増大過程、(7)「連帯」運動と経済改革、(8)経済政策における経済学および経済学者の役割、(9)農民の社会的地位向上をめぐる評価、(10)コメコンおよびコメコン諸国との経済関係とその評価、(11)社会主義経済成長循環、(12)体制内経済諸改革、などである。

 このポーランド現代史における諸課題は至る所で継続または断絶している。また、これらの諸課題の継続および断絶は必ずしも体制の変化と一致しない。ある歴史的要素は体制が変わるとともに断絶するが、他の歴史的要素は体制の変化を越えて存在する。ポーランド現代経済史の複雑さは、まさにこの歴史の継続と断絶(または連続性と非連続性)であり、20世紀という枠組みの中でこの継続と断絶の絡み合った糸を解きほぐしていくことがポーランド現代史を理解する鍵であると考える。

 こうした問題を整理するのに、「20世紀のポーランド 3つの革命と8つの挫折」という視点を提示したい。20世紀の歴史の中で大きく時代を分けるのは3つの(広義の)革命--つまり、1918年の独立回復、1944年の国土解放、1989年の体制転換であり、それぞれの革命によって新しい政治・経済体制が選択さえている。また、8つの挫折によって現代史のいくつかの要素は断絶している。その8つの挫折とは、民主化の挫折、経済的自由主義の挫折、エタティズムの挫折、人民民主主義の挫折、強行的工業化と農業集団化の挫折、経済開放化の挫折、「連帯」運動の挫折、社会主義の挫折、である。

民主化の挫折: ポーランド現代史において、民主化は高揚、挫折、停滞を幾度となく繰り返している。民主化が安定して進行しない原因として、両大戦間期においては、(1)多民族国家における「国民国家」形成の困難性、(2)議会における小政党の乱立、(3)強い議会に対する政府の脆弱さ、(4)近代市民社会と資本主義を支える市民層の脆弱さ、(5)国民国家形成の失敗、(6)ドイツ・ソ連の脅威拡大、などがあげられる。第二次世界大戦後、こうした要因は大きく変化したが、「社会主義的民主主義」、「党内民主集中制」といった新たな概念が導入されたことにより、従来の民主化運動は封じ込められた。社会主義期においては、民主化運動は、不満の爆発、急進的民主化要求、妥協の失敗、弾圧、民主化運動の停滞、を繰り返してきた。  

経済的自由主義の挫折: 両大戦間期を通じて、A・クシジャノフスキ(A. Krzy anowski)らに代表される経済的自由主義思想の潮流は、経済界・経済学界で常に主流の位置を占めてきた。エタティズム思想の代表格にみられがちなE・クフィャトコフスキさえ、基本的には経済的自由主義思想の持ち主である。経済的自由主義が挫折したのは、理論的論争の結果ではなく、市場の失敗に起因するものであった。国内産業資本の脆弱さ、農村の貧困と農村市場の未発達、工業の未発達を前提とした経済的自由主義は、国民経済の安定的成長を保証するものではなかった。また、1929ー34年の深刻な恐慌とそれに続く不況は、経済的自由主義が成長と安定を求めるポーランド経済に無力であることを図らずも示す結果となった。このことは、のちに社会主義政権が行った資本主義批判の論拠ともなった。

エタティズムの挫折: エタティズムは、経済的自由主義の批判として経済政策の表舞台に登場するが、それは理論的に経済的自由主義を凌駕していたからではない。世界大恐慌とドイツにおけるヒトラーの台頭による中欧情勢の緊迫化により外国資本がポーランドから逃避したため、それを埋め合わせ国防を強化する目的でエタティズムが登場してきたのである。したがって、一連のエタティズム的政策が国家の強い政策思想に裏付けられていたわけではなく、ポーランドの工業化に大きな役割を果たしたものの、国民経済の構造と体質を根本的に変えるものではなかった。エタティズムの挫折は、第二次世界大戦の勃発によって引き起こされた。

人民民主主義の挫折: 人民民主主義は明確な理論とビジョンに裏付けされたものではなかったが、社会主義の理論と経験および両大戦間期政治・経済政策の理論と経験を引き継いだ、ソ連型とは違う独自の政治・経済体制形成の実験として評価できる。人民民主主義の挫折は、ソ連の圧力、国際情勢の変化、などをきっかけとしているが、もともと3セクター・システム自体が国内政治勢力の不安定な勢力関係の上に成り立っていたことにも基因する。

強行的工業化と農業集団化の挫折: 1950年代前半に重工業化が強行された背景には、(1)1920年代中葉以降の工農国をめざしだ工業化の流れ、(2)外国資本に依存しない自立的産業形成への欲求、(3)マルクス主義経済理論の「生産財生産部門発展優先の法則」に基づく基幹産業の整備優先、(4)東西冷戦の深刻化や朝鮮戦争勃発による安全保障の確保の必要性、特に社会主義ブロックの団結強化と軍需産業の充実、などの要因があった。このうち、(1)、(2)はポーランドが社会主義国にならなかったとしても存在した要因であるが、(3)、(4)の要因がこのプロセスを過剰に促進したため、国民経済の至る所で経済均衡が崩れ、強行的工業化が挫折した。 農業集団化による生産の落ち込みや社会的弊害は、集団化を推進した共産党指導者の間でも早くから深刻に受け止められていた。農業集団化の先頭に立ったR・ザンブロフスキは、1951年にすでに地方の党書記を集めて、農業集団化の深刻な現状について演説を行っており、その演説のパンフレットは、主要な党活動家たちにも配布されている。それにもかかわらず集団化が放棄できなかったのは、ソ連からの強い圧力があったからに他ならない。1956年にいわゆる「雪解け」が始まると、1956年に1万件以上存在していた生産協同組合が1年間のうちに2千件以下に落ち込む。もし、生産協同組合がまがりなりにも機能していれば、集団化政策が放棄さえても、一気にこれほど落ち込むことはなかったであろう。統計に表れる集団化の進展がいかに形式的なものであったかがわかる。

経済開放化の挫折: 1970年代の経済開放化は、ポーランド人の社会生活や消費構造を大きく変化させた。しかし、肥大化した省庁の抵抗に阻まれて戦略的主導産業が特定できず、借款による工業近代化が総花的になってしまった。結果的に、ポーランドは国際分業体制の中で確固たる地位を占めることができず、経済開放化は挫折した。また、2回のオイル・ショックを通じリストラが進まなかった理由として、経済体制の硬直性と同時に、国内価格の世界市場価格からの乖離をあげることができる。1970年代後半は、飼料などの農産物の輸入が急激に増加しているが、農業政策の失敗も経済開放化による工業化戦略の失敗と密接の関連している。

「連帯」運動の挫折: 「連帯」運動は、経済分野では社会主義の基本枠を維持しながらどこまで労働者主権を確立し、効率的な経済管理・運営を図ることが可能かという問題であった。もともと、自主管理を実現することと経営の効率化をはかることは必ずしも一致しないし、場合によっては対立する問題である。しかし、社会主義を前提とした体制内改革としては、これが限界の要求であった。この限界を「連帯」運動が超えた時、体制側は戒厳令を布告し、運動は挫折した。「連帯」運動が「自己限定革命」であったところに、運動の限界があったといえる。

社会主義の挫折: 第二次世界大戦後、またはスターリン期に形成された社会主義経済システム(いわゆる「伝統的」システム)は、その後の度重なる経済改革で修正されてきた。しかし「伝統的」の基本的諸要素は一貫し維持された。その諸要素とは、(1)経済組織の中に深く食い込んだ党組織の存在と、経済活動における党のコントロール、(2)中央による指令的資材・資金の分配方式、(3)企業の設立・統廃合に関する意思決定の集権化、(4)課税・補助金による企業間の資金再配分、である。大幅な分権化、自主管理の確立など、一見大胆に見える改革も、すべて「伝統的」システムの基本的諸要素に全く手をふれないまま行われた改革である。社会主義経済の非効率性は、この基本的諸要素に依存しており、これを改革せずしては効率的経済の形成は望めなかった。

 ポーランド現代経済史において、全く異なった理論に立脚した3つの体制を、どのような視点で一貫した歴史として描くかは難しい課題である。しかし、「3つの革命と8つの挫折」が歴史的諸課題の連続性と非連続性を規定していると考えることによって、それぞれの体制を超えた課題と各体制に特有な課題を明らかにすることができる。さらには、「3つの革命と8つの挫折」で指摘した論点をもとに、ポーランドに固有な課題、中欧諸国に共通な課題、または世界の現代経済史にとって普遍的な課題を整理することができると考える。