[中心市街地の活性化を考える] 

 五月末の参議院本会議で、大店法(大規模小売店舗法)に代わる大店立地法(大規模小売店舗立地法)と中心市街地活性化法が成立した。すでに成立している改正都市計画法とあわせて、中心市街地活性化のための三点セットとも言われている。なかでも中心市街地活性化法は、通産省や建設省など十一の省庁が連携して実施しようとするもので、今年度だけでも一兆円もの予算が盛り込まれている。はたして、この中心市街地活性化のための関連施策によって、今日多くの地方都市に見られる疲弊した既存商店街を初めとした中心市街地は再生できるのであろうか。
・中心市街地衰退の理由
 このことを考えるには、まず、戦後の高度経済成長期を経験する過程で、中心市街地が衰退してきた要因を整理しておく必要がある。しかし、そこには時代の流れとしての外的要因と人々の意識や行政の政策といった内的要因が相乗している。 20世紀、特に戦後は「都市化の時代」であったとも言える。地方圏から東京や大阪などの大都市圏へ雇用機会を求めて人口が移動し、また地方圏においても、それぞれの地方の中心都市へ企業と人口が集積してきた。その結果、今日、人口の八十%近い人々が都市(市・区)に居住することとなった。高度経済成長の始まる前の昭和三十年と比べて、二十ポイントもその割合は増えている。 都市の中心部に働く場所があれば、誰しも便利の良い中心部近くに居住したい。しかし、同心円的に都市を眺めると、中心部の方が郊外に比べて明らかに土地面積は少ない。その結果、新たに都市に住まいを求める人々はより郊外に住宅を探すことになり、それと同時に郊外に住宅開発が進むことになる。このことは需要と供給のバランスからすると当然のことである。これに、自家車の保有率の上昇と中心部から郊外へ向かう放射状道路の整備が拍車をかけた。このよう な環境の中で、相対的に地価の安い郊外地域に、複合商業機能をもった大規模店舗が立地してくることは、大店法が幾度か緩和されてきた中で自然の流れだったと言えよう。 そして、中心商店街を含めた都心部に訪れしやすくする方策、たとえばアクセスしやすい駐車場整備といった方策が、中心商店街活性化と一体化されてこなかった。そこで、休日には家族で郊外の大規模の複合商業施設で買い物を含めた余暇時間を過ごす傾向が高まる。そこには、都心部を歩いて回遊するマルチ・ストップ型から大規模複合施設でのワン・ストップ型ショッピングへの嗜好の変化といったライフスタイルが読みとれる。 また、旧くからの中心部の居住者も世代交代の中で、地価高騰によって郊外への転出を余儀なくされたり、地方にはない就業機会を求めて大都市への転出といったことなども中心部空洞化(あるいは、中心部高齢化)の無視できない要因である。 このように社会的にも経済的にも複数の要因が考えられる中で、これまでの都市政策の対応が十分であったとは言い難い。もちろん、中心市街地活性化プランについて行政側の何度かの提示に対して、提示された側の認識やコンセンサスが不十分であった ことも中心部の停滞や衰退の大きな内的要因である。しかし、都市間競争に負けない手段として、都市の核を郊外の大型商業施設に求めた都市政策があったこともまた否定できない。そこでは、郊外の開発と中心市街地の衰退が、実は政策上で表裏一体となっていたことに行政も市民も気づかなかったことが指摘される。

・中心部市街地の存在価値
 このような都市化のいわば必然的帰結として生じた中心市街地の空洞化の再生を考える際に、最も重要でかつ基本的なことは、市民にとって中心市街地の存在価値とは何なのかである。あるいは、都市にとって中心市街地の存在意義とは何かということである。そして、それに基づいて、なぜ中心市街地の活性化が必要なのかを考えなければならない。このことについてのコンセンサス(社会的合意)が形成されていないと、いかなる施策も一時的なショック療法でしかあり得ないからである。 消費者としての市民は、中心市街地をどのようにとらえているのであろうか。多くの個人消費者にとっては、郊外の大型の複合商業施設が充実していれば、中心市街地の商業機能が低下しても、さして問題意識はないかも知れない。これは、消費機会の代替をしているに過ぎないからである。また、より郊外に居住している人ほど、中心部より郊外が発展する方が望ましいと思う方が強いであろう。 ところが、個々人の自由な消費行動の結果が、都市全体を見た場合に望ましい姿になるとは必ずしも限らない。郊外地域では大型商業施設間の競争が激しくなり、結果、大型施設が現れては消えるという無秩序な状 況にもなりうる。同時に、中心市街地は空洞化が進み、さびれてくる。このような都市の姿が望ましいとは言えない。 中心市街地というのは、地理的に見ても都市の中心部であることが多く、そこには古くからの街並みも存在している。そして、地方都市の場合は、商店街とオフィスなど業務地区とが近接して中心市街地を形成していることが多い。このことは、商店街を含めた中心市街地は、その都市の顔でありシンボルであることを意味する。したがって、いくら郊外地域が発展して機能的には一つの核となりえても、物理的な中心地区とはなりえない。つまり、郊外地域が、さびれた中心市街地に取って代わることはできないのである。 都市は人々が生活する器であり、変化する生き物であるから、長期的には、停滞することや衰退することがあって当たり前である。しかし、それが永続的なものであってはならない。停滞や衰退の後には、必ず再生(リバイバル)が訪れないといけない。 都市の魅力の一つに、中心部がもつその都市固有のにぎわいがある。「都市」というのは、にぎわいをもった「都:みやこ」であり、人々が生産や販売、消費活動をする「市:いち」であるからだ。したがって、 さびれた中心市街地をもつ都市は、もはや都市としての存在の魅力に欠けている。 しかし、人々の認識を改めないで、活性化政策をいたずらに規制に頼って行うのはよくない。市民の活性化した中心市街地が必要であるという意識と総意がないと、規制は歪んだ結果を都市にもたらす。商店街を含めた中心市街地の存在に、市民がどのような価値を見いだせるかは、実は商店街が消費者に対していかなる付加価値を提供できるかと同義なのである。インタ−ネットを利用した「仮想商店街」というのもあるが、結局、人々がそこへ足を運ばないことには、賑わいあり得ないし、したがって活性化もしない。 このように考えてくると、中心市街地は何も商店街やオフィス・ビルだけのものではないことが明らかになる。中心市街地とは、都市に生活する人々や都市を訪れる人々とっての共通の場、つまりコモン・スペ−スなのである。それは、社会資本的要素を持っている。そして都市とは、あらゆる年齢階層にとって住み易い場所であらねばならない。これは中心市街地にとっても当てはまる。交通弱者と言われる高齢者や身障者にとっても、利便性の高い中心市街地の存在と性化は必要である。
・中心市街地活性化法の生かし方
 このような認識で中心市街地の活性化を考えた場合に、大店立地法など中心市街地活性化関連の三法案をどのように活用すればよいであろうか。 まず、大店法は、何度か緩和されてきたものの、中心市街地の個人商店や既存大型店舗を保護してきたことの反面、それらの競争力を弱めてきたこともあった。そして、新たな大店立地法では、中小小売業の保護から地域の生活環境の保護に重点が置かれ、制度上は自由な出店を可能にする。都市計画法の改正では、特別用途地区を拡大し、都市計画で規制できるように自治体の裁量権が増している。大店立地法との一体的運用で、基本的には郊外地域における大型商業施設の立地規制が可能となる。 これに対して、中心市街地活性化法に基づく活性化対策は、従来の中心商業地を念頭においたものである。活性化に対する非常に数多くのメニュ−が揃えられた補助政策である。市町村は、国の基本方針に即して、活性化の基本計画を作成する。そこでは、中心市街地の整備のみならず、郊外地域との整備の整合性が求められよう。 以上のことから、政策の実施に当たっては、もはや郊外の大型店と中心部商店との対立構図でとらえるべきではなく、都市全体 を見た中での商業集積のあり方に基づいた立地政策を考えるべきであることが分かる。そこでは、競争環境の下で、中心市街地としての魅力を高めるような空洞化対策を行い、同時に郊外地域との機能分担を明確にする必要がある。そして、都市全体の魅力が高まり、活力が生まれていくことが望まれる。 商店街の空洞化対策に最近では、空き店舗に対して一般市民に利用参加を呼びかけることが、いくつかの都市の中心商店街で実施されてきている。岡山の奉還町三丁目商店街や高松の片原町西部商店街などにおけるこういった空き店舗活用が、最近の話題として、しばしばマスコミに紹介されている。 しかし、広く公募によって空き店舗を解消するという対策も、活性化のきっかけにはなるが、それだけでは活性化が持続するとは限らない。実際、平成6年に、観音寺市の柳町商店街がチェレンジ・ストアと銘打って実施したが、長期的には既存商店の空き店舗化が進み、商店街へ消費者の還流が定着せず、中心市街地の活性化にはならなかった。 それでも、これは市民参加をともなった民間活力による活性化の好例であると言えよう。民間活力とは、何も民間企業の資金や経営ノウハウを活用すること だけではない。民間活力の基本は、広く市民の参加を呼びかけ、そこに行動と責任を伴ったNPO的組織が形成され、それによって市民が都市を創っていくことである。中心市街地活性化法の目玉である街づくり機関TMO(タウン・マネ−ジメント組織)もこういった市民参加の下で行われるべきである。 そして、施策を実行する行政にとって大切な点は、従来は比較的現状追認的であった土地利用政策を改め、「都市をどう育てていくか」という積極的理念を実行することにある。その中には、中心市街地活性化法による既存の商店街の構造改革のみならず、無秩序に郊外の大型店が立地し、撤退するという繰り返の事態に対して「都市を守る」姿勢も必要である。これには、改正都市計画法を都市経済圏域で活用することによって、行政圏域と経済圏域のミスマッチを乗り越えることが望まれるし、広域市町村圏といった広域連携で都市の活性化を考えていくビジョンも必要となってくる。 したがって「都市をどうするか、どうしていくか」という明確なビジョンと責任のない自治体は、都市間の競争に負け、購買力の流出や人口の流出といった具合に衰退していく。正に、この度の中心市街地活性化関 連法は、地方分権を地域に問う試金石とも言えるのではないだろうか。