写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
 |
浪打峠の切通し |
なみうち |
岩手/(二戸)一戸町 |
<奥州街道> |
切通し(砂岩) |
|
江戸期 |
国天然 |
町教委(奥州街道調査報告書) |
保存状態良好 |
切通しの部分に国指定天然記念物の交叉層(クロスラミナ=地層が斜めに交叉する小規模な層)の美しい縞模様の地層(1500万年前に堆積)が露出 |
1 |
A |
 |
大堀抜 |
おほのぎ |
山形/鶴岡市 |
<六十里越街道> |
切通し |
幅約2m,高約5m |
嘉永6(1853)頃? |
|
WEB |
保存状態良好 |
出羽三山信仰の道/掘抜らしさが感じられる切通し |
1 |
B |
|
 |
大野のウトウ(切通し) |
おおの |
新潟/糸魚川市 |
中山峠<松本街道> |
切通し |
|
江戸期 |
国史跡 |
市教委 |
当時の雰囲気を残している |
塩の道/牛が往来したことでできたとされる特殊なU字型溝地形 |
2 |
B |
 |
浄因寺の切通し |
じょういん |
栃木/足利市 |
浄因寺 |
切通し
(天然、もしくは、若干の改修) |
|
江戸期以前 |
|
WEB/市教委 |
保存状態良好 |
北斎の『諸国名橋奇覧』の中の「行道山くものかけはし」に描かれた場所/浄因寺は行基が和銅7(714)に開いたといわれるが、切通しが人工のものなのか、もしそうなら、時代はいつなのか全く不明→北斎の制作は天保5(1834)頃なので、江戸時代にあったことは確か |
1 |
B |
 |
小井戸の切通し |
こいど |
栃木/(芳賀)茂木町 |
県道・須黒羽~茂木線 |
切通し |
|
弘化3(1846) |
|
WEB |
現役の県道のため、拡幅・C吹付けなど大改修 |
茂木藩の藩医・中村勧農衛が直々に指導して開削した切通し/折山を迂回して山越えする難路を回避/勧農衛は茂木藩の財政立て直しのため二宮尊徳の指導下で「仕法」を推進した人物 |
3 |
B |
 |
笠森観音の切通し |
かさもり |
千葉/(長生)長南町 |
笠森観音参道 |
切通し |
最大高5m程度 |
江戸期 |
|
WEB/WEB(鎌倉街道上道) |
保存状態良好 |
3000人を動員して開いたとの伝承/岩を垂直に削った参道→寺院参道としては異例 |
1 |
B |
 |
西元町の鎌倉街道上道・跡 |
にしもと |
東京/国分寺市 |
黒鐘公園
<鎌倉街道上道(推定ルート)> |
切通し |
長約150m |
鎌倉時代? |
市史跡 |
WEB(鎌倉街道上道)/市教委(国分寺市の文化財) |
公園内整備 |
頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/国分寺崖線を切り通しにして通過/多摩川以北で昔ながらの古道の姿を残した道がある所は、上道ではここだけではないかとされる |
2 |
B |
|
数馬の切通し |
かずま |
東京/
(西多摩)奥多摩町 |
|
切通し |
延長20m,幅1.5m
→延長9m,
幅3.8m |
元禄12(1607) |
町史跡 |
現地解説板/町教委/WEB |
岩盤を開削された切通しが残る/災害でアクセス道が破壊され、接近不能 |
石門状の開削/岩盤に火を焚いて水をかけツルハシと石鑿で開削/青梅街道の交通の要所 |
5 |
B |
 |
名越切通 |
なごえ |
神奈川/鎌倉市
・逗子市 |
|
切通し |
長約400m |
天福元(1233)以前 |
国史跡 |
現地解説板/WEB |
切通しが3ヶ所残る/第一切通〔写真〕の発掘の結果、現在の路面の下に江戸中期の路面が発見され、何度も崩壊により埋まってきたことが判明した |
鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の天福元年8月18日の条に「名越坂」の記述がある/逗子側からの切岸の迫った部分を通らねばならず、天然の地形に人工を加えての防御/鎌倉期の道幅は不明だが、発掘調査によると江戸期には2m程(現在は1~1.5m)と考えられる/一時期は道幅を広げる工事も行われ、路面幅約3m、両側に排水溝も設けられたとされる |
2 |
A |
 |
朝夷奈切通 |
あさひな |
神奈川/
横浜市(金沢区)・
鎌倉市 |
|
切通し |
長約1.3㎞ |
仁治元(1240)着工 |
国史跡 |
WEB/神奈川県の歴史散歩・下p.55 |
深い切通しなど往時の雰囲気を鎌倉七口の中で最もよく残す |
鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の仁治元年11月30日の条に鎌倉と六浦との中間に道路を開く議が定まり、時の執権第三代北条泰時が自ら足を運んだとある/良港のなかった鎌倉にとって六浦津を外港として確保できたことは重要な成果であった→北条4代が六浦・金沢に居を構え、金沢氏と称し称名寺と金沢文庫を創建した |
1 |
 |
 |
金沢道の切通 |
かなざわ |
神奈川/
横浜市(金沢区) |
称名寺~旧東海道・保土ヶ谷宿 |
切通し |
|
江戸期 |
|
WEB(鎌倉街道上道) |
保存状態良好 |
金沢道に残る切通し/金沢道が使われたのは江戸期だが、この道の全身は鎌倉街道下道と考えられている(ルートの古さと、切通しの施工時期とはリンクしない) |
1 |
B |
 |
亀ヶ谷坂 |
かめがやつさか |
神奈川/鎌倉市 |
|
切通し |
長約100m |
12世紀中葉 |
国史跡 |
□/神奈川県の歴史散歩・下p.55 |
切通しは残るが、舗装され現在でも生活道として利用される |
鎌倉七口の一つ/起源は鎌倉以前で、山ノ内と源義朝(1123-60)邸を結ぶ道として開かれたと思われる |
2 |
A |
 |
巨福呂坂 |
こぶくろざか |
神奈川/鎌倉市 |
|
切通し |
長約250m |
建長2(1250)以前 |
国史跡 |
WEB/神奈川県の歴史散歩・下p.55 |
新道となり痕跡だけ残して消滅 |
鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の建長2年6月3日の条に巨福呂坂の改修工事が指示されている/鶴岡八幡宮石段下を北西に一直線に進む道で,聖天社を左にみて山裾を進む坂路 |
3 |
B |
 |
仮粧坂 |
けわい |
神奈川/鎌倉市 |
|
切通し |
長約0.5㎞ |
建長3(1251)以前 |
国史跡 |
現地解説板/WEB |
長くはないが、切通しや切岸が残る |
鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の建長3年12月3日の条に「気和飛坂山上」の記述がある/鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける鎌倉街道上道の出入口に当たる→開削年代が、鎌倉幕府開設の時代まで遡ったとしてもおかしくはない/発掘調査により火葬跡も発見され、葬送の地でもあった |
1 |
A |
 |
釈迦堂口の小切通 |
しゃかどう、こ |
神奈川/鎌倉市 |
大町釈迦堂口遺跡 |
切通し |
|
13世紀以降? |
国史跡 |
WEB/WEB(鎌倉街道上道) |
保存状態良好 |
大町釈迦堂口遺跡は13世紀以降に建てられた寺院跡とされる→保存状態が良いことから13世紀以降と考えるのが妥当であろう |
1 |
B |
 |
大仏切通 |
だいぶつ |
神奈川/鎌倉市 |
|
切通し |
|
13世紀後期? |
国史跡 |
□/神奈川県の歴史散歩・下p.54 |
明治期も開削が続けられたが、トンネルが開通してからは利用されなくなった/崩壊箇所があって全行程を歩くことは不可能 |
開削時期を示す史料はないが、鎌倉時代以前の可能性もあると指摘されている(古代東海道の分枝道) |
3 |
A |
 |
谷戸坂の切通 |
やとざか |
神奈川/鎌倉市 |
|
切通し |
|
江戸期? |
鎌倉景観100選指定 |
WEB |
保存状態良好/金網で遮断され通行禁止 |
小袋谷で鎌倉街道から分岐し、山沿いの道を深沢を経由して津村・腰越村・龍ノ口を経て江ノ島に至る江ノ島道の切通し/両側に高い崖が切り立った切通し/青蓮寺との関連で開削されたとすれば、もっと古い |
2 |
B |
 |
高野の切通 |
たかの |
神奈川/鎌倉市 |
|
切通し |
|
不詳 |
鎌倉景観100選指定 |
WEB |
両側が迫り、保存状態は良い |
山ノ内と六浦を結んでいたといわれる尾根道 |
1 |
B |
|
|
荒井の切通し・跡 |
あらい |
長野/伊那市 |
(小沢川右岸)<東山道?→春日街道> |
切通し |
長約80m→48m,深約8m,底部幅3.6m |
古代?→17世紀初 |
|
木下 良 |
一部先端部が水田埋没 |
川に向かって急崖を直線的に下る切通し=古代道路は渡河点を直通するので、こうした切通しを造ることが多い/春日街道は、当時廃道となっていた古代道の路線を再利用したと思われる |
3 |
B |
|
中箕輪の切通し・跡 |
なかみのわ |
長野/(上伊那)箕輪町 |
(深沢川右岸)<東山道?→春日街道> |
切通し |
長約80m,深約6m,上部幅15m,底部幅3.5m |
古代?→17世紀初 |
|
木下 良 |
切通し部が埋め立てられているが、その部分をV字型に迂回している現道により形態が確認できる |
川に向かって急崖を直線的に下る切通し=古代道路は渡河点を直通するので、こうした切通しを造ることが多い/春日街道は、当時廃道となっていた古代道の路線を再利用したと思われる |
4 |
B |
|
岩鼻往還の切通し |
いわばな |
長野/(埴科)坂城町 |
<北国街道> |
切通し |
幅約4m |
江戸期以前? |
|
町教委/WEB |
落石防止の施工・崩落でとぎれとぎれで現存/切通しはよく残っている(落盤落石防止装置が無粋) |
崖垂の中腹に穿たれた切通し旧道/江戸期以前と推定するには道幅が広すぎる→後世の改修の可能性 |
3 |
B |
 |
青柳の大切通し |
あおやぎ |
長野/(東筑摩)筑北村 |
<善光寺街道> |
切通し |
長26m,高6m,
幅3.3m |
天正8(1580) |
村史跡 |
WEB/信州の文化財 |
保存状態良好 |
青柳伊勢守頼長が切り開き、その後享保元(1716)、明和6(1769)、文化6(1809)に3回の普請が行われた/善光寺街道随一の名所として有名/江戸期の切通しそのものが数少なく、かつ、現役で使用させているのは珍しい/岩上方には普請記録と馬頭観音が刻まれ、周辺には百体観音が安置されている |
1 |
 |
 |
青柳の小切通し |
あおやぎ |
長野/(東筑摩)筑北村・麻績村 |
<善光寺街道> |
切通し |
長13m,高4.5m,幅3.8m |
天正8(1580) |
村史跡 |
WEB/信州の文化財 |
保存状態良好 |
青柳伊勢守頼長が切り開いた(その後の普請は不明)/江戸期の切通しそのものが数少なく、かつ、現役で使用させているのは珍しい |
1 |
A |
 |
西平尾の切通し |
にしひらお |
静岡/菊川市 |
裏山 |
切通し |
|
江戸末期 |
|
市教委 |
保存状態良好 |
狭く高い“隘路”のような切通し→江戸期でもこのような形態は珍しい/農道として利用されていた |
1 |
A |
 |
大浦の切通し |
おおうら |
静岡/下田市 |
|
切通し |
|
寛文4(1664) |
|
市教委 |
拡幅、切り土面補強 |
3代目下田奉行・石野八兵衛により開削(下田の奉行役宅から大浦の船改番所まで山越えせずにアクセスするため)/工事費用・人足は入港する船や水主から取り立てた |
3 |
B |
 |
女鬼峠の切通し |
めき |
三重/(多気)多気町 |
<熊野街道> |
切通し |
|
年代不詳(江戸以前であることは確か) |
|
WEB(北伊勢の道標)
/現地解説板 |
保存状態良好 |
標高120mの熊野街道(伊勢路)最初の峠/石墨千枚岩を堀割って通した峠道 |
1 |
B |
|
|
ホノケ山の切通し |
|
福井/(南条)南越前町 |
|
切通し |
高6m |
中世以前 |
|
町教委 |
林道により一部破壊 |
塩の道として古代から使われていたルート/切通しというより堀割 |
2 |
B |
 |
矢田峠の切通し |
やた |
和歌山/和歌山市 |
<熊野古道> |
切通し |
高90m |
不詳 |
|
WEB |
保存状態良好 |
|
1 |
B |
|
 |
露峰の切石道 |
つゆみね |
愛媛/(上浮穴)
久万高原町 |
<土佐街道> |
切通し |
|
寛文年間(1661-73)の最初の頃 |
|
WEB |
道路(廃道化)が拡幅され雰囲気が変わってしまった |
仰西渠を完成させた仰西の私財による救済事業の一つ/三坂峠鍋割坂の改修の経験を活かし、岩崖を開削して道を開いた難工事 |
2 |
B |
|
 |
大谷の西海道の切通し
(大宰府~豊前国府)
|
おおたに |
福岡/行橋市 |
<西海道> |
切通し |
幅10m(3ヶ所) |
古代(律令期) |
|
市教委/古代道路研究会 |
通行困難、時代経過による埋没(地形はよく残る) |
直線状の旧道が小丘陵を横断する部分に連続して3ヶ所残っている→その直線性から、古代官道の可能性が高い |
3 |
B |
 |
祇園原の西海道肥前路・跡 |
ぎおんばる、さいかい |
佐賀/神埼市 |
<西海道> |
切通し |
長約300m(切通し部約100m) |
古代 |
|
木下 良/
古代官道・西街道肥前路p50 |
切通しの北側境界が識別可能な程度 |
西海道肥前路は佐賀平野を約16km一直線に通る道路痕跡が空中写真によって認められる/現況は荒地もしくは水田だが、丘陵を東西に横切る切通状の窪地や地割りが存在し、道路痕跡を伺わせる |
3 |
A |
 |
吉野ヶ里遺跡内の西海道肥前路・跡 |
よしのがり、さいかい |
佐賀/
(神崎)吉野ヶ里町 |
日吉神社・北<西海道> |
切通し |
長約400m |
古代 |
|
木下 良/
古代官道・西街道肥前路p50 |
切通しを明瞭に確認できる |
西海道肥前路は佐賀平野を約16km一直線に通る道路痕跡が空中写真によって認められる/現況は荒地もしくは水田だが、丘陵を東西に横切る切通状の窪地や地割りが存在し、道路痕跡を伺わせる |
2 |
A |
 |
二王座の切通し |
におうざ |
大分/臼杵市 |
(臼杵) |
切通し |
数ヶ所 |
戦国~江戸期 |
|
市教委 |
臼杵を代表する景観として観光地化 |
二王座(凝灰岩の台地)に登る坂道/家並の中心の切通しは石垣に、少し外れると岩肌が見え(写真の場所)、その外側は岩肌がむき出しになっている |
2 |
B |
 |
犬飼港の 「火の道」 |
いぬかい |
大分/豊後大野市 |
<犬飼港> |
切通し |
|
江戸期 |
市史跡 |
市教委/WEB |
保存状態良好 |
岩を火で熱して軟らかくして砕いたとされていることから火の道と言われる/参勤交代で利用された |
1 |
A |
 |
瑞巌寺の切通し |
ずいがん |
大分/(玖珠)九重町 |
|
切通し |
長約6m,高約4m |
江戸期 |
|
WEB |
通行困難な廃道/保存状態良好 |
|
2 |
B |
 |
腹切坂の切通し |
はらきりざか |
熊本/(玉名)和水町 |
<豊前街道> |
切通し |
長約280m,
最大高約7-8m,
幅3-5m |
江戸初期以前 |
国史跡 |
町教委 |
長年の洗掘で6mえぐられていたのを、埋め戻した |
永ノ原台地~寺ノ本間の急坂/慶安4(1651)の『御帳之控』に地名が現れる |
2 |
B |