道標 (高さ)
都道府県別データ一覧にある高2.5m以上の道標を「高さ」の順に並べたもの
写真
名称
ふりがな
所在地
付帯情報
形式
諸元
建造年
文化財
出典
保存状態
価値判断に係る事項
保存
評価
価値
評価
水口町牛飼の道標1
みなくち、
うしかい
滋賀/甲賀市
<東海道・横田川畔>
石道標
高566㎝
(うち、基壇142㎝),幅54㎝,厚44㎝
嘉永4(1851)
市有形民俗文化
WEB/近江の道標p56
大正8に紀伊国屋が移設→昭和58に再移設/石基壇は恐らくオリジナル(大正8の移設の際に銘板がはめ込まれているが、石積は大正期のものではない)
(正面)「山上庚申道」、(同頂部)「日本/真鍮/祖神」、(同左下隅)「是ヨリ 三十丁」/塔身上に“三猿”の丸彫を載せる/真鍮の製法を夢の中で会得し、京に上がり鋳法を広めたとされる藤左ェ門を祀る広徳寺への道しるべ(江戸、大阪、京都の金物屋が発起人となって建立)/現在判明している中で、江戸期の道標としては全国で最も背が高い(2番目が367㎝なので、ずば抜けて大きい)→昭和9に埼玉県入間市に建てられた「北狭山茶場碑入道」(高410㎝)が日本一としてギネスブックに記載されているのは間違い)/下記「水口町牛飼の道標2」の横に聳える
2
中山の道標
なかやま
千葉/市川市
遠寿院
石道標(円柱)
高367㎝(うち、台石36㎝),径32㎝
文政7(1824)
WEB(加来_市川21)
文字を朱色で塗色/右面の刻字はセメントで埋めてある
(正面)「當山根本御祈祷系授的傳加行所遠壽院江 半丁」、(右面)「日暮聖人/日祐聖人、御墓道これよ里 一丁餘」/背の高い円柱道標は稀/現在判明している中で、江戸期の道標としては全国で2番目に背が高い(1番は滋賀県甲賀市の「水口町牛飼の道標」)
2
A
西原町の地蔵道標
にしわら
三重/名張市
<初瀬街道・上野街道>
石道標(基壇付き地蔵祠)
高338㎝(うち基壇174㎝)
江戸期
WEB(北伊勢の道標)
移設
背の高い基壇石垣の正面中央の石に「右 いせ道/天下太平道中安全/左 うゑの道」と陰刻/基壇上に屋根付き石造祠→中に小型の地蔵尊立像が安置/高さ3mを超える道標
2
A
国府町井戸の道標
こくふ、いど
徳島/徳島市
井戸寺<へんろ道>
石道標(自然石)
高338㎝
文政2(1819)
歴史の道5p73・164/同・別冊Ⅲp8
保存状態良好
(正面)「四國十七番 井戸寺霊場」、(正面右端)「(右指差し)これより おんざんしへ 五り」、(正面左下)「願主 出來嶌中」/高さ3mを超える道標
1
A
砂払町の題目塔道標
すなはらい
長野/飯田市
(1丁目)<大平街道>
石道標(自然石)
高330㎝(うち台石55㎝),幅185㎝,厚60㎝
享和元(1801)
下伊那の道標p51
保存状態良好
(右下端)「當所羽場」/全面に大きく「南無阿弥陀佛」と陰刻/高さ3mを超える道標
1
A
出雲井町の道標
いずもい
大阪/東大阪市
(2丁目)<暗越奈良街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高330㎝,幅43㎝,厚35㎝
嘉永6(1853)
近畿地方の歴史の道2
p120/東大阪市の石造物3p76,94/大阪の街道と道標p21
移設
(正面右上)「當国」、(同左上)「一ノ宮」、(同中央)「元春日平岡大社」、
(同中央右)「是ヨリ南ヘ二丁くらかり峠ヘちか道有」、(同下横書)「左なら」、(左面)「右 大坂」/高さ3mを超える道標
2
A
青海町の地蔵道標
おうみ
香川/坂出市
へんろ道
石道標(丸彫、石基壇付き)
高323㎝
(うち、台石78㎝,石基壇115㎝)
寛政9(1797)
四国遍路道調査研究会1p64
石基壇上にCブロック造の覆屋
(台石右面)「この方 志ろミ祢道」、(同左面)「祢古ろ道 藤和右衛門實」、(同裏面)「この方 古くふ道」、(同正面)「天下泰平」/高さ3mを超える道標/石基壇の上に台石と丸彫地蔵を載せる(石基壇を道標の高さに入れるかどうかについて統一見解はないが、本リストでは常夜灯も石基壇を入れた総高で表示している)/白峰寺~根香寺の地蔵町石(十九丁)と並ぶ
2
A
岩井町の地蔵道標
(北向地蔵)
いわい
神奈川/横浜市
(保土ケ谷区)
<金沢・浦賀往還>
石道標(丸彫)
高320.5㎝(うち、塔身102㎝)
享保2(1717)
市登録地域有形民俗
横浜の古道p10
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象
(台石正面左上)「是よ里/左の方、か奈さわ道」、(台石右面)「是よ里/右の方、久めう寺道」(=弘明寺)/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/台石正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻
1
A
曽根町の道標
(竹生嶋道の道標)
そね
滋賀/長浜市
<北国街道>
石道標
高317㎝,幅29㎝,厚30㎝
文久2(1862)
市教委/近江の道標p139
2度移設
(正面)「左 竹生嶋道」/高さ3mを超える道標
2
A
信貴山東の道標
しぎさん、
ひがし
奈良/(生駒)三郷町
大門ダム・東150m
石道標(駒型)
高314㎝(うち、台石45㎝),幅52㎝,厚40㎝
文政2(1819)
WEB(宮様の石橋)
平成26移設(もと、斑鳩町の竜田大橋・東詰)
(正面頂部)「従/是/西」、(正面)「信貴山毘沙門天道」、(右面頂部)「左、だるまし/多ゑま、道」/右面に「施主、江戸新吉原仲の町/
尾
張屋
太
郎兵衛」、台石正面にも「尾/太」と刻字/下記の「勢野東の道標」と同年・同施主・同形だが、刻字内容が若干異なる
2
A
田無町の庚申塔道標
(柳沢庚申塔)
たなし
東京/西東京市
(2丁目)
<青梅街道・所沢街道>
石道標(笠付き)
高308㎝(うち、台石36㎝),幅47㎝,厚39㎝
享保8(1723)
市史跡
市教委/現地解説板
/田無の石仏p42/WEB(鎌倉街道上道)
昭和40移設→平成18再移設
(右面左)「是より右り はんのふ道」、(左面右)「是より左り あふめミち」/正面を火灯窓型に削り込み、青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、二鶏)を陽刻、枠頂部に“日月”、枠最下部に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風、その上に蓮花付きの宝珠を載せる/右・左面に蓮の花の浮彫り/庚申塔道標として唯一高さ3mを超える
2
北条の道標
(つくば道道標)
ほうじょう
茨城/つくば市
(仲町)<つくば道>
石道標(花崗岩)
高約300㎝
寛政10(1798)再建
市教委/筑波町石造物資料集(上)p175
原位置?
(正面)「こ連・より、つくは道」、(右面)「東、ひ・た・り、きよたき/つちうら、 加し満」、(左面)「にし、おふそね/いちのや、江戸」/台石は8角柱/書家が大曽根を「おほそね」と書かず「おふそね」と誤記したことを恥じたとの伝承がある
1
A
香良洲町地家の道標1
からす・じけ
三重/津市
<香良洲道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高299cm(うち台石33㎝),幅46㎝,厚45㎝
文政6(1823)
WEB(北伊勢の道標)
/市教委
昭和19の東南海大地震で転倒・放置→移設・再建
(正面)「右 さん久う道」、(左面)「左 からす道」/台石が丸みを帯びた猫脚/石工: 七郎兵衛
2
A
杉戸の馬頭観音像道標
すぎと
埼玉/(北葛飾)杉戸町
宝性院<日光街道>
石道標(丸彫)
高298㎝,幅54㎝,厚51㎝
文化7(1810)
WEB(鎌倉街道上道)
移設
(台石右面)「日光道中」/背の高い台石上に光背を背にした馬頭観音の半跏坐像(四面八臂〔
光輪、馬頭冠、剣、輪宝、斧、金剛杵、施無畏印、数珠、蓮台
〕、二重の蓮台、敷茄子)の精緻な丸彫を載せる/台石正面に「馬頭觀音」と陰刻
2
A
高尾の地蔵道標
1
(北向き地蔵)
たかお
埼玉/北本市
(8丁目)須賀神社・南の辻
石道標(丸彫)
高297㎝(うち、塔身178㎝),
幅42㎝,厚25㎝
享保14(1729)
WEB(埼玉県の橋供養碑)
原位置/信仰の対象
(基壇最下段の正面右)「右 石戸道」、(同左)「左 鴻巣道」/3段の基壇+台石の上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる/この地蔵尊は、願いを叶えてくれる地蔵として有名→泥の団子を供えて願い事をし、願いが叶ったらお礼に米の団子を供える信仰が今も続いている
1
A
成田の道標3
なりた
千葉/成田市
新勝寺稲荷社
石道標
高296㎝(うち、基壇75㎝),
幅36㎝,厚35㎝
万延2(1861)
金田p549-550成田53
/WEB(加来_成田37)
刻字に朱彩色
(正面)「右 成田道」、(左面)「左 いんはぬ満道」/3段の台石上に四角柱を載せ、頂部に三面に成田山新勝寺の寺紋を陽刻した石彫刻を置く
1
A
入谷の庚申塔道標1
(三峯台の庚申塔)
いりや
神奈川/座間市
(3丁目)大門坂・上
石道標(笠付き)
高287㎝(うち、台石128㎝),幅33㎝,厚24㎝
明和5(1768)
市教委/WEB
原位置
(右面)「右 ほしのや道」、(左面右)「右 江戸 つるまみち」、(同左)「左 大山 あつぎみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風/宝珠を載せる
1
A
上花輪の大黒天像道標
かみはなわ
千葉/野田市
石道標(丸彫)
高285㎝
(うち、台石40㎝)
文政10(1827)
金田p705野田6
/WEB(加来_野68)
保存状態良好
(正面最下部)「向 乃だ/ 十丁」、(正面下部右側)「こしがや/か奈すぎ、ミち」、(同左側)「布川/奈がれ山、ミち」/正面に「甲子講」と大きく陰刻された背の高い柱上に、大黒天立像の丸彫を載せる
1
東中富の地蔵道標
ひがしなかとみ
徳島/(板野)藍住町
<讃岐街道>
石道標(丸彫)
高283㎝
(うち、基壇47㎝)
宝暦7(1757)
歴史の道1p23・31
保存状態良好
(台石正面)「(梵字)奉造立地蔵尊」、(同・斜前左面)「板野郡東中留邑念佛講中」、(同・斜前右面)「從是 讃州金毘羅迄 十八里/從是 當國城下徳嶋迄 二里」/六角柱の台石上に蓮台と笠付き地蔵坐像が載る
1
A
妙法山阿弥陀寺の道標1
みょうほうざんあみだ
和歌山/
(東牟婁)那智勝浦町
(奥之院大師堂別道)<妙法山阿弥陀寺参道>
石道標(自然石、花崗岩)
高280㎝(うち台石45㎝),幅26.5㎝,厚22.5㎝
弘化3(1846)
近畿地方の歴史の道3p88
(正面)「従是奥之院 八丁」
1
A
上牧町の九輪塔道標
かんまき
大阪/高槻市
<淀川>本澄寺境内
石道標(九輪塔)
高約2.8m
安永4(1775)→笠、九輪、台座:文政3(1820)
高槻の道しるべp27
移設
(右面中央)「本澄寺」、(同右上)「上牧」、(同最下部左)「是より二町」/正面に「南無妙法蓮華経」、左面に「南無日蓮大菩薩」と陰刻/台石に文政3(1820)に笠、九輪、台座石を付け加えたと刻まれている
2
A
瀬古口の道標
(黒田橋東詰の道標2)
せこぐち
三重/名張市
(黒田橋東詰)<初瀬街道>
石道標
高278㎝(うち台石12㎝),幅45㎝,厚44.5㎝
天保15(1844)
市教委/WEB(北伊勢の道標)
中央部で折損→補修/台石とC接合/移設
「右、はせ/なら、みち」「左 あめがたき」「是より 六十丁」/大型の道標/頂部を丸く加工(なべ型)/台石に多くの関係者の名前が陰刻
2
A
豊丘町の題目塔道標
とよおか
長野/須坂市
<三原道>
石道標(自然石)
高277㎝,幅94㎝,厚28㎝
慶応4(1869)
市有形
WEB
「右 上州かい道/左 やまみち」/全面に「大日如来」と陰刻/三原道と牛の文化をつなぐ象徴的な道標
2
B
六軒町の道標
ろっけん
三重/松阪市
<伊勢街道>
石道標(自然石)
高276.5㎝(うち台石16.5㎝),幅44.5㎝,厚43㎝
江戸期?
WEB(北伊勢の道標)
台石と道標がC接着
(正面中央)「いかごへ追分」、(同右下)「六けん茶や」、(左側面中央)「右 いせみち」、(左側面左下)「六軒茶屋」、(右側面)「やまとめぐりかうや道」、(裏面)「大和七在所順道」
2
B
永崎の題目塔
道標
ながさき
福島/いわき市
(橋出)
石道標(自然石)
高275㎝,幅185㎝,厚40㎝
享和3(1803)
浜通り地方の道標p45
移設、集約/刻字が磨耗
(正面右)「右
□
名道」(=江名?)/正面を長方形に浅く削り込み中央に
「南無阿弥陀佛」と陰刻/海中から切り出された原石→正面に虫の掘った穴が多数残る
3
B
柏田町の供養塔道標
かしわだ
茨城/牛久市
柏田神社・入口
石道標
高272㎝(うち、台石42㎝+基壇68㎝),幅40㎝,厚24㎝
万延2(1861)
牛久市史料(石造物)p353,375,737/
WEB(鎌倉街道上道)
移設
(台石正面)「向、里う可さき/あじき/なり多/さく良」、(台石右面)「右、大ハ多/つちう良/ふ知う/かさま」、(台石左面)「左、た可ざき/や多べ/水海道/せきやど」/正面に「(梵字)、月山/湯殿山/羽黒山、秩父/西國/坂東、供養塔」と陰刻
2
A
鹿島区小池の題目塔道標
かしま、こいけ
福島/南相馬市
(原畑)
石道標(自然石)
高270㎝→145㎝,幅60㎝,厚30㎝
江戸期
浜通り地方の道標p109
原位置→2011.3.11の東日本大地震で上半分が転落(もともと折損し継いであった)
(正面最下部)「東、…/鹿…/橲原、道」/正面に大きく「南無阿彌陀佛」と陰刻/表面の剥離具合から近世由来と推定
4
C
上河内の追分道標2
かみごうち
岡山/真庭市
<出雲往来>
石道標(六角、花崗岩)
高270㎝,各辺25㎝
文久3(1863)
歴史の道4p27/歴史の道8p2/WEB
上から1/3は修復
「西 出雲大社 江 三十七里」「伯州大仙 江 拾七里」「伊勢大神宮 江 八十五里」「東 木山宮、従是左江 三里/五ヶ村日詣」「讃州金毘羅 江 三十三里」「能勢妙見、江 四十五里」/「石寄進発起願主坪井宿」として24人の名が石柱の一番下の周囲に刻まれている/六角でかつ大型のの道標は稀
2
A
勝田の道標1
かつた
三重/(度会)玉城町
<和歌山別街道>
石道標
高269㎝,31.5㎝角
文政7(1824)
県石造物調査報告2p164
/WEB(北伊勢の道標)
原位置?
(正面)「右 くまの かうや よし乃/左 たなばし しまかた、道」、(右面)
「神照山廣泰寺、是より/十五丁」、(裏面)「左 さんぐうミち」
1
B
浜尻町の如意輪観音像道標
はまじり
群馬/高崎市
諏訪神社・入口角
石道標(尖頭角柱、安山岩)
高268㎝(台石2段29+26㎝、基壇75㎝),幅33.5㎝,厚31㎝
嘉永7(1854)
新編高崎市史p373
/上州の近世石造物1p262/WEB(鎌倉街道上道)
移設
(下段台石正面右)「右ハ 惣社道」、(同左)「左ハ 金子道」/正面を火灯窓型と光背型の2重に削り込み、如意輪観音の半跏坐像(光輪、蓮台)を陽刻、その下に蓮台と敷茄子と猫脚(ここまでが塔身)、さらにその下に上下二段の台石、石基壇と続く→道標としては異例な構成
2
A
小佐原の庚申塔道標
こざわら
長野/飯山市
<富倉道・長峰道>
石道標(角柱状自然石、安山岩)
高268㎝(うち台石36㎝),幅51㎝,厚52㎝
文久2(1862)
市教委
保存状態良好/神事の対象
(台石)「右 とかり/左 たかこ、道」/全面に「庚申塔」と陰刻
1
B
勝田の道標2
かつた
三重/(度会)玉城町
石道標
高266㎝,33㎝角
文政7(1824)
県石造物調査報告2p164
/WEB(北伊勢の道標)
近接移設?
(正面)「右 くまの かうや/左 さい乃かみた くつか」、(右面)「冨向山田宮寺、是より/十丁」、(裏面)「すぐ さんぐうミち」
1
B
金明町の成田山道標
きんめい
埼玉/草加市
十字路交差点
石道標
高265㎝(うち、台石18㎝),幅43㎝,厚29㎝
文久2(1862)
草加の道しるべp22
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約
(正面刻字下左)「是ヨリ東/十六里」/正面に大きく「成田山」と陰刻/頂部に、三面に成田山新勝寺の寺紋を陽刻した石彫刻を置く/頂部近くに正方形の窪み→内部に不動明王像が彫ってあるという伝承→“確認できなかった”と書かれている
2
A
西ケ原の題目塔道標
にしがはら
東京/北区
飛鳥中学校
石道標(尖頭角柱)
高265㎝,
幅37㎝,厚21㎝
寛政7(1795)
区教委
移設
(正面下部)「右 王子みち/左 い多ばし道」/正面上部に「猿田彦大神」と陰刻
2
B
氷上町常楽の道標
ひかみ、
じょうらく
兵庫/丹波市
石道標(自然石)
高262㎝,幅128㎝,厚70㎝
寛政11(1799)
歴史の道5・加古川円山川の舟運p146
(正面)「(梵字)高山寺道」
B
勢野東の道標
せやひがし
奈良/(生駒)三郷町
<奈良街道・信貴山参道>
石道標(尖頭角柱)
高261㎝
文政2(1819)
町教委
原位置
(正面)「信貴山毘沙門天道」、(右面)「是より 二町西に本道進立石阿り」
1
B
追分宿分去れの子安地蔵道標
おいわけ・わかされ
長野/
(北佐久)軽井沢町
<北国街道・中山道>
石道標(丸彫)(道標)
高260㎝(うち、塔身132㎝)
安永6(1777)
追分宿郷土館/WEB
原位置
(台石・下3段目・東面)「さら し奈は 右/みよし野ハ 左尓て/月登 花と越/追分の 宿」、(同・南面)「小田井江 一里半/御嶽山江 三十三里半/津嶋江 六十七里半/伊勢江 九十二里十一丁/京都江 九十三里/大坂江 百七里半/金毘羅江 百五十里半」、(同・西面)「めうぎ江 七里/山道 九里/はる奈江 十六里/一ノ宮江 十里/三河屋/高崎江 十三里/江戸江 三十八里/日光江 四十四里」、(同・北面)「金澤江 八十五里/新潟江 六十六里/高田江 三十四里/戸隠山江 二十二(?)里/善光寺江 十八里/小諸江 三里半」/蓮台に載った丸彫の子抱き地蔵尊坐像/東面の道しるべを兼ねた歌詞(「右は北国街道姥捨山の「田毎の月」でしられる更科へ、 左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かう」という意味)非常に有名
1
A
関町新所の道標
(西の追分の道標)
せき・しんじょ
三重/亀山市
(関宿西の追分)<東海道・大和街道・伊賀街道>
石道標
高259㎝
元禄14(1701)
県史跡
WEB
保存状態良好
(下半分)「ひだりハ いか やまとみち」/上半分に「南無妙法蓮華経」と陰刻/西の追分は、関宿の西の入口/建立: 京都三条・谷口長右衛門
1
B
野田の道標1
のだ
千葉/野田市
東正寺
石道標(尖頭角柱)
高258㎝,幅36㎝,厚23㎝
安政2(1855)
金田p706-707野田9
/WEB(加来_野62)
移設
(正面上部)「(梵字)成田山」、(正面下部)「道法、山嵜迄 一リ 花の井迄 三リ/我孫子迄 五リ 布佐迄 八リ/木下シ迄 九リ 安食迄 十リ/松崎迄 十一リ半 成田迄 十三リ」
2
B
福崎新の題目塔道標
ふくさきしん
兵庫/(神崎)福崎町
<但馬道>
石道標
高257㎝(うち、台石79㎝)
明和2(1765)
WEB(的形道標クラブ)
最下段の基壇上辺がC→移設?
(台石右面)「右 北条/左 生野」/塔身正面に「南無妙法蓮華経 法界萬靈」と陰刻
2
B
川之江町の道標3
かわのえ
愛媛/四国中央市
高原ふるさと館・入口
<土佐街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高255㎝,28㎝角
天保6(1835)
歴史の道4p11
移設
(正面)「左 阿ハみち」、(同下部)「うん遍ん寺迄 五里」、(右面上部)「右 とさ」、(同下部)「さんかく寺/於く乃ゐん、道」(=奥の院)、(同最下部)「三十五丁/七十八丁」
2
B
中林町の道標
(月本追分の道標)
なかばやし
三重/松阪市
<伊勢街道・
奈良街道
>
石道標(花崗岩)
高253㎝,幅49.5㎝,厚49㎝
天保13(1842)
県史跡
市教委/WEB(北伊勢の道標)
保存状態良好
「右 さんぐうみち」「右 いがご江 なら道」「月本おひわけ」「左 やまと七在所順道」/建立: 月本追分の宿屋連中4名、石工: 市場庄甚兵衛/右隣の小型の常夜灯、道の反対側の大型常夜灯とも明治期のもの
1
B
内原の題目塔道標
うちはら
和歌山/和歌山市
<熊野街道>
石道標(頂部繰形付角柱、花崗岩)
高252㎝(うち台石22㎝),幅30㎝,厚29㎝
寛政8(1796)
近畿地方の歴史の道3p75
(右側面)「きみゐてら大門まて八町」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と刻まれている
1
B
川之江町の道標2
かわのえ
愛媛/四国中央市
本陣南の三叉路
<土佐街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高252㎝,29㎝角
天保2(1831)
歴史の道 土佐街道 笹ヶ峰越えp8/WEB
移設?/2ヶ所で水平に折損→修復
(正面)「右 満川やまミち」(=松山)、(右面)「左 古ん飛らミち」、(左面)
「左、阿は/とさ、 於久の以んミち」(=奥の院)
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B
東山の庚申塔道標
(砂溜の庚申塔道標)
ひがしやま
(さだまり)
岩手/盛岡市
(2丁目)<宮古街道>
石道標(自然石)
高250㎝,幅125㎝,厚70㎝
文化4(1805)
市有形民俗
歴史の道/WEB/市教委
多くの道標が集約
(正面右端)「右ハ か己め 宿」、(同左端)「左ハ みやこみち」/正面に大きく「庚申」と陰刻
2
B
新田木崎町の供養塔道標
にった、きざき
群馬/太田市
大通寺
石道標
高250㎝,幅40㎝
天保11(1840)
新田町の石造物と金工品p216
移設
(正面最下部?)「右 大門」「左、大原/大間々」/正面に「聖徳太子」と陰刻
2
B
金古町の庚申塔道標
かねこ
群馬/高崎市
(上組西)
石道標
高250㎝(うち、塔身159㎝),幅80㎝
寛政12(1800)
上州の近世石造物1p287
(台石正面?)「右 ミつさわ/左 しらいわ」/正面に「庚申塔」と陰刻
B