写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
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薬師寺の石敢當 |
やくしじ・せっかんとう |
青森/黒石市 |
(薬師寺)
<弘前市の慈雲院> |
石敢當
(安山岩or玄武岩質安山岩) |
高約92㎝,幅61㎝,厚54㎝ |
文政6(1823) |
市有形民俗 |
日本の石敢當p12 |
移設 |
弘前藩医・三上隆圭(江戸からの知識導入により設置と推測)/「石敢當」と隷書体で印刻されている |
2 |
B |
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広船金森山の石敢當 |
ひろふねかなもりやま・せっかんとう |
青森/平川市 |
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石敢當
(正三角柱型) |
高81㎝,一辺35㎝の正三角形 |
幕末期 |
市有形民俗 |
市教委/日本の石敢當p18 |
昭和50頃近接移設/現在は山中で目的は感じられない/「孝」の字の下半分埋没/時期により、雑草に埋まる |
建立:広船村外川家・8代目外川庸孝/村の安穏を祈るため⇔石敢當本来の目的とは異なる/正三角形断面は、近代を含めても、全国で唯一の存在 |
2 |
A |
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福田の石敢當 |
ふくだ・せっかんとう |
青森/平川市 |
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石敢當(自然石) |
高70㎝,幅33㎝,厚30㎝ |
幕末期 |
市有形民俗 |
市教委/日本の石敢當p19 |
「當の字下半分」埋没/近接移設 |
建立:広船村外川家・8代目外川庸孝/村の安穏を祈るため⇔石敢當本来の目的とは異なる |
2 |
B |
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大山の石敢當 |
おおやま |
山形/鶴岡市 |
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石敢當(頁岩) |
高63㎝,幅48㎝,厚15㎝ |
明治初以前 |
県民俗 |
日本の石敢當p35 |
風化がひどくC鞘堂中に収納 |
設置理由不明/県令・三嶋通庸が鴨から鶴岡に出る道路をまっすぐ延ばそうと考えたが、この石敢當のため設計変更したとされる |
2 |
B |
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上崎の石敢當 |
かみさき |
埼玉/加須市 |
龍興寺・参詣橋袂 |
石敢當(安山岩) |
高70㎝,幅21㎝,厚20㎝ |
明和8(1771) |
市有形民俗 |
日本の石敢當/現地解説板 |
移設/風化が進むが、刻字ははっきりしている |
(正面)「石敢當」、(右面)「石橋、施主/回心」(→石橋を渡って寺内へ入ろうとする邪気を祓うため、と推測できる) |
2 |
C |
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中央の石敢當 |
ちゅうおう |
埼玉/加須市 |
千方神社 |
石敢當(安山岩) |
高135㎝,幅52㎝,厚23㎝ |
文化14(1817) |
市有形民俗 |
日本の石敢當/現地解説板 |
移設/風化・C補修のため裏面の刻字が読み辛い |
(正面)「石敢當」/頂部に雲の模様と龍2頭を浮彫/裏面に「恵梨そめぬ 石能軍の 君可代裳 八千代の数の 里農萬母里迩」(石のように強い石敢當の神様、八千代にわたり数をお守り下さい)の歌が刻字/五と十の市の繁栄を願い建立されたもので、一般の石敢當の意味合いとは異なる |
3 |
B |
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天神町の石敢當 |
てんじん |
長野/
(南佐久)佐久穂町 |
(穂積) |
石敢當(安山岩) |
高約150㎝,幅約50㎝ |
文化14(1817) |
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日本の石敢當/WEB |
保存状態良好/個人の庭(当初から→石敢當としての意味がない) |
「石敢當」と楷書体で陰刻されている(書家: 亀田鵬齋陳人興)/文字上部に雲の模様と龍2頭の線刻=非常に珍しい |
2 |
B |
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崎田の石敢當 |
さきだ |
長野/
(南佐久)佐久穂町 |
(下諏訪神社付近) |
石敢當(自然石、流紋岩) |
高152㎝,幅113㎝ |
文化末-文政初頭
(1815-20) |
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日本の石敢當/WEB |
保存状態良好(三叉路上の突き当たり) |
「石敢當」と隷書体で陰刻されている(書家: 大窪詩仏) |
2 |
C |
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多比の石敢當 |
たび |
静岡/沼津市 |
龍雲寺・入口 |
石敢當
(駒型、安山岩) |
高123㎝,幅55㎝,厚70㎝ |
江戸末期 |
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市歴史民俗資料館
/日本の石敢當 |
移設 |
(正面)「石敢當」/由来不明 |
2 |
C |
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安曇川田中の石敢當 |
あどがわ、
たなか |
滋賀/高島市 |
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石敢當
(道標兼、花崗岩) |
高109㎝,18㎝角 |
天保13(1842) |
<安曇川町史跡> |
日本の石敢當/現地解説板/近江の道標p147 |
移設/2ヶ所で水平に折損→修復 |
(正面)「石敢當」、(右面)「すく 北國街道」、(左面)「すく 京 大津道」/膳所藩代官・安原氏により建立/道標を兼ねた石敢當は非常に珍しい |
3 |
B |
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滝町の石敢當 |
たき |
山口/山口市 |
山口大神宮 |
石敢當(笠付) |
高140㎝,幅21㎝,厚21㎝ |
天明年間(1781-89) |
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日本の石敢當/歴史の道3p215 |
移設 |
(正面)「石敢當」、(裏面)「常夜燈」/移設前は肥中街道の起点であった滝町・安部橋袂にあった/明治初年、コレラ流行の際に石敢當によって病気が村内に入るのが防がれたと言われる |
2 |
B |
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加茂の石敢當 |
かも |
徳島/
(三好)東みよし町 |
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石敢當(自然石、緑泥片岩) |
高180㎝,幅54㎝,厚8㎝ |
文久2(1862) |
町有形民俗 |
市教委/日本の石敢當p98/歴史の道2p69 |
保存状態良好 |
(正面)「石敢當」/文久2に加茂で悪病が流行し、大火や水難も続いた→村人は、この原因が村の鬼門が開いているからと考え、鬼門堂と石敢當を建てた/紀年銘のある近世の石敢當としては最も背が高い(それが、宮崎・鹿児島・沖縄ではなく徳島にある) |
1 |
A |
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水ケ江の石敢當 |
みずがえ |
佐賀/佐賀市 |
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石敢當
(駒型、砂岩) |
高62㎝,幅20㎝,厚12㎝ |
寛政6(1794) |
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日本の石敢當p105 |
移設 |
(正面)「石敢當」 |
2 |
C |
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畳屋町の石敢當 |
たたみや |
大分/臼杵市 |
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石敢當(隅丸型) |
高140㎝(塔身のみ),幅39㎝,厚14㎝ |
明治20代の再刻
〔享和3(1803)以前〕 |
市有形民俗 |
WEB |
現存遺物は明治期に建立されたもの |
建立当時は木製、江戸期に石造なるが西南戦争で破壊/享和3に岡藩の儒学者・唐橋君山らが編纂した『豊後国志』には、戦国武将・大友宗麟が天正3(1575)に建立したと記載(この時期の書物には意図的な“誤解”を多いので間違いの可能性も大きいが、享和3に存在していたことは確実)→日本最古の石敢當との記載が時折見られる |
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原田の石敢當 |
はらだ |
宮崎/えびの市 |
えびの市飯野出張所・前 |
石敢當 |
高112㎝,幅53㎝ |
元禄2(1689) |
市有形 |
日本の石敢當p121/WEB |
原位置? |
大法師盛意により建立/日本で2番目に古い紀年銘をもつ石敢當(現時点での日本最古は、鹿児島県の松山町泰野の石敢當の元和2(1616)) |
1 |
A |
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高崎町縄瀬の石敢當1
(小牧の石敢當) |
たかざき、
なわぜ |
宮崎/都城市 |
(小牧) |
石敢當(自然石) |
高70㎝,幅60㎝,厚20㎝ |
宝暦6(1756) |
|
市教委(高崎町史) |
移設 |
(正面)「石敢當」 |
2 |
C |
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高城町穂満坊の石敢當 |
たかじょう、ほまんぼう |
宮崎/都城市 |
|
石敢當(自然石、凝灰岩) |
高90㎝,幅70㎝ |
江戸期? |
|
市教委(高城の石塔・石碑・石仏たち) |
山崎家のブロック塀中に割れた石片を継いで修復されている |
藩政時代の高城地頭館を囲む武家屋敷外入口の要衝の地点で、薩摩街道七日市の突き当たりにある/旧街道にあるので、江戸期の建立と推定される |
3 |
C |
 |
長田の石敢當 |
ながた |
宮崎/(北諸県)三股町 |
梶山小学校・付近 |
石敢當(自然石、砂岩) |
高84㎝,幅31㎝ |
江戸後期? |
|
みまたの石造文化 |
鈴木家敷地の西角→県道拡幅→同家内の庭に移設/横倒し/風化大 |
(正面)「(梵字)〔種子ボロン〕 石敢當(?)」 |
4 |
C |
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清水の石敢當 |
きよみず |
鹿児島/霧島市 |
|
石敢當 |
高130㎝,幅32㎝,
厚20㎝ |
元文5(1740) |
|
日本の石敢當p149 |
石垣の一部/すぐ上に大きな広告看板→「當」の字しか見えない |
(正面)「石敢當」 |
4 |
C |
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牧園町持松の石敢當 |
まきぞの、
もちまつ |
鹿児島/霧島市 |
(甲辺) |
石敢當 |
高65㎝,幅21㎝,厚24㎝ |
安永4(1775) |
|
日本の石敢當p149 |
移設→個人宅/墨書された字が消えかかっている/下部埋設 |
(正面)「(梵字)石敢當」/すべての文字が墨書で書かれている→非常に珍しい |
4 |
B |
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入来町の石敢當1 |
いりき |
鹿児島/薩摩川内市 |
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石敢當 |
高49㎝,幅13㎝ |
元文4(1739) |
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市教委/
日本の石敢當p146 |
石垣に埋もれている |
(正面)「石敢當」 |
3 |
C |
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入来町の石敢當3 |
いりき |
鹿児島/薩摩川内市 |
(入来支所作成地図:C) |
石敢當 |
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天明元(1781) |
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WEB(みさき道人) |
石垣に埋もれている |
(正面)「石敢當」 |
3 |
C |
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蘭牟田の石敢當 |
いむた |
鹿児島/薩摩川内市 |
(麓西) |
石敢當(自然石) |
高110㎝,幅18㎝,
厚12㎝ |
宝暦4(1754) |
市有形民俗 |
日本の石敢當p147 |
石垣上(原位置かどうかは不明)/中央で水平に折損→修復 |
(正面)「石敢當」 |
2 |
C |
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松山町泰野の石敢當 |
まつやま、
たいの |
鹿児島/志布志市 |
(京ノ峰) |
石敢當 |
高35㎝,幅21㎝,厚10㎝ |
元和2(1616) |
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日本の石敢當p146 |
保存状態良好 |
年代が刻字されている石敢當としては日本最古/(正面)「石敢當」/年代に「□和辰二年」とある→この組合せは元和2(丙辰)しか存在しない/これまでは宮崎県えびの市の原田の石敢當(元禄2)が最古とされてきた |
1 |
A |
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長里の石敢當 |
ながさと |
鹿児島/日置市 |
|
石敢當(道標兼) |
高164㎝,幅35㎝,
厚22㎝ |
安永3(1774) |
市有形民俗 |
日本の石敢當p149
/現地解説板 |
原位置? |
(正面上部)「石敢當」、(同下部中央)「右 ゆのもととをり」=道標を兼ねた石敢當は稀/建立:杉之迫郷中/全国で2番目に高い石敢當 |
1 |
B |
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東市来町養母の石敢當 |
ひがしいちき、ようぼ |
鹿児島/日置市 |
(荻) |
石敢當 |
高76㎝,幅24㎝,厚16㎝ |
慶応2(1866) |
|
市教委/WEB(みさき道人) |
近接移設 |
(正面)「石散當」 |
2 |
C |
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桜馬場の石敢當 |
さくらのばば |
鹿児島/(姶良)湧水町 |
|
石敢當(自然石) |
高112㎝,幅35㎝,
厚21㎝ |
明和5(1768) |
|
日本の石敢當p148 |
原位置 |
(正面)「(梵字)石敢當」 |
1 |
C |
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川添の石敢當
(三堂の石敢當) |
かわそえ
(みどう) |
鹿児島/(姶良)湧水町 |
(三堂) |
石敢當(自然石) |
高75㎝,幅43㎝,厚20㎝ |
安政3(1856) |
|
日本の石敢當 |
原位置/表面が苔むして刻字の視認困難 |
(正面)「石敢當」/双頭石の珍しい石敢當 |
2 |
C |
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川東の石敢當 |
かわひがし |
鹿児島/
(肝属)東串良町 |
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石敢當
(自然石、凝灰岩) |
高57㎝,幅24㎝,厚13㎝ |
元禄14(1701)? |
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日本の石敢當p159
/WEB(みさき道人) |
下方が石垣に埋もれている/上部が一部破損 |
周囲の石垣から推定すると元禄14の建立となり、それが正しければ、全国で3番目に古い |
3 |
C |
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八重山の石敢當 |
やえやま |
沖縄/
石垣市 (石垣島) |
八重山博物館 |
石敢當(石灰岩) |
高51㎝,幅37㎝,厚19㎝ |
1736-95年 |
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日本の石敢當p.178 |
上部破損 |
(正面中央)「太公在此」、(その右)「泰山石敢當」/県内で2番目に古い/起工・修築を意味する「太公在此」の方が主体 |
3 |
B |
 |
西銘の泰山石敢當 |
にしめ、
たいざん |
沖縄/(島尻)久米島町
(久米島) |
|
石敢當
(安山岩、自然石) |
高115㎝,幅28-41
㎝,奥行12㎝ |
1733年 |
町民俗 |
日本の石敢當/久米島博物館 |
保存状態良好 |
県内最古(沖縄は全国で石敢當の最も多い県だが、紀年銘のあるものは3基しかない)/日本で4番目に古い/前側の中央に「泰山石敢當」、右に「雍正十一癸丑」(1733)、左に「八月吉日」と刻まれている |
1 |
A |
 |
□山石敢當(泰山石敢當) |
たいざん
(□は欠字の意味) |
沖縄/(中頭)北中城村 |
|
石敢當
(砂岩、自然石) |
高102㎝,
幅38-58㎝ |
1848年以前 |
|
日本の石敢当 |
|
日本一石敢当が多い沖縄でも、年代が近世以前と判明しているものは極めて稀/「山石敢當」の刻字が残る=初めは刻んであった「泰」の字を、尚泰王(在位1848-79年)の時代に削った(?) |
2 |
B |