写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
|
相去町の沈床 |
あいさい・ちんしょう |
岩手/北上市 |
北上川 |
石水制 |
長85m,幅15m |
近世 |
|
市教委/WEB |
当時のまま |
流心に対して45度の角度で下流に向かって突き出している石張沈床/北上川舟運の航路維持と仙台藩相去番所の附属施設として構築されたと思われる/近世には「岩出し」と呼ばれた |
2 |
B |
|
|
川辺堀之内の堤防 |
かわべほりのうち |
東京/日野市 |
駒形公園<浅川> |
土水制 |
2基 |
江戸期? |
|
市教委/WEB |
公園内に保全 |
「信玄堤」とも呼ばれていた/小規模 |
3 |
C |
|
 |
中般若町の猿尾股1 |
なかはんにゃ |
愛知/江南市 |
<木曽川(左岸)> |
土水制 |
長約70m,高約3m |
江戸期 |
|
馬場慎一 |
やや変形 |
最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の直上流にあって、御囲堤から直接突き出た水制 |
2 |
C |
 |
中般若町の猿尾股2 |
なかはんにゃ |
愛知/江南市 |
<木曽川(左岸)> |
土水制 |
長約90m,高約2.5m |
江戸期 |
|
馬場慎一 |
やや変形 |
最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の最上流部にある2つの水制の1つ(上流側) |
2 |
C |
 |
中般若町の猿尾股3
(勘兵衛猿尾) |
なかはんにゃ(かんべぇ) |
愛知/江南市 |
<木曽川(左岸)> |
土水制 |
長約50m,高約3m |
江戸期 |
|
馬場慎一 |
かなり変形 |
最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の最上流部にある2つの水制の1つ(下流側) |
3 |
C |
 |
三ノ猿尾 |
さんの |
愛知/江南市 |
<木曽川(左岸)> |
土水制 |
長約80m,高約3m |
江戸期 |
|
馬場慎一 |
腹付け盛土により原形を損なう |
2番目の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の木曽川寄りの部分に3ヶ所造られた水制のうち、唯一現存する最下流の水制 |
4 |
C |
 |
枝下町の渡しの石刎 |
しだれ |
愛知/豊田市 |
<飯田街道/矢作川> |
石水制 |
|
江戸期? |
|
市教委 |
左岸側は基部が視認可、右岸側は水中 |
小規模な水制 |
3 |
C |
 |
浅間堤 |
せんげん |
三重/伊勢市 |
宮川(右岸・度会橋上流) |
土水制 |
長約150m
(現存部) |
寛永元-6(1624-29)
or 延享5(1748) |
|
山田奉行所記念館/
市教委/中森 巌 |
刎出し1基のみ残る/戦前に先端部に顕彰碑/宮川の新堤防がほぼ中央を貫通(平成24完成。周辺地域の床上浸水対策のため)→委員会が作られ歴史遺構に配慮した形で計画策定 |
説① 施主: 山田奉行所・5代奉行・中川半左衛門忠勝/説② 施主: 庄屋・松井孫右衛門→暴れ川だった宮川を治めるため、私財を投げ打って本堤防と5基の刎出し堤を築き、自ら人柱となって堤防を守ったとされる→しかし、そ前後に洪水の記録がなく、信憑性に疑問もある/説①と説②は、地元では半々程度の支持率 |
3 |
B |
 |
駿河堤 |
するが |
三重/伊勢市 |
宮川(右岸・度会橋下流1) |
土水制(先端石張) |
長58m |
貞享元-元禄9(1684-96) |
|
山田奉行所記念館 |
先端の石積がよく残る/宮川の本堤防からそのまま進入できる |
施主: 山田奉行所・11代奉行・岡部駿河守勝重/地元民を洪水から守るため幕府に堤防の修築を願い出た→命名の由来/建造年不明なため在任期間を示す |
2 |
C |
 |
周防堤 |
すおう |
三重/伊勢市 |
宮川(右岸・度会橋下流2) |
土水制 |
長47m |
元禄9-宝永5(1696-1708) |
|
山田奉行所記念館 |
宮川の本堤防からそのまま進入できる |
施主: 山田奉行所・12代奉行・長谷川周防河守重章/地元民を洪水から守るため幕府に堤防の修築を願い出た→命名の由来/建造年不明なため在任期間を示す |
2 |
C |
 |
前渡猿尾 |
まえど |
岐阜/各務原市 |
県各務原浄化センター
<木曽川(右岸)> |
石水制 |
長286m,基部幅15m,高3m |
万治2(1659)以前 |
|
木曽川学歴史ガイドブック/市教委 |
万治2が記録に残る最初の改修→明治までに少なくとも3-4回改修/公園化→石が剥き出しの状態 |
木曽川から500m以上離れてしまい川との関係性は薄いが、現存する「当時の姿」をほうふつとさせる最大級の猿尾 |
3 |
A |
 |
加納猿尾 |
かのう |
岐阜/各務原市 |
木曽川河畔
<木曽川(右岸)> |
石水制 |
長1300m
→長150m,
高3.5m |
江戸期 |
|
馬場慎一 |
ブッシュに覆われ不明瞭だったが、平成25の各務原大橋と遊歩道の工事により発掘→150m区間が猿尾として保存 |
美濃国加納藩が築堤した猿尾/かつては木曽川最大の猿尾 |
3 |
A |
 |
石田猿尾 |
いしだ |
岐阜/羽島市 |
木曽川(右岸) |
石水制 |
長360m |
宝暦3(1753) |
|
市教委/岩屋隆夫 |
水制は土のクラウンドのように平坦で広く、石水制というイメージからほど遠い/現役 |
宝暦治水で構築された木曽川右岸側水制の1つ/対岸にある木曽川の派川の佐屋川が堆積する土砂のため閉塞し、佐屋川への通水が悪くなることを排除する目的で築かれた /現存・現役の最大級の水制 |
2 |
 |
 |
江川の舟付き場と猿尾 |
えがわ |
岐阜/(羽島)笠松町 |
古池、中池 |
石水制 |
|
江戸期? |
町登録 |
町教委(木曽川歴史ガイドブック)/馬場慎一 |
古池の岸辺の猿尾石積の保存状態は良好/中池はかなり崩壊 |
古池・中池を通じて木曽川とつながった舟付き場の猿尾 |
2 |
C |
|
将監猿尾 |
しょうげん |
岐阜/(羽島)笠松町 |
木曽川(右岸) |
石水制 |
20本 |
慶安3(1650)以降 |
町登録 |
町教委(木曽川歴史ガイドブック) |
本堤と接続する基部のみ残る |
築造:第3代美濃代官・岡田将監義政→猿尾名の由来 |
4 |
C |
 |
手斧猿尾(亀姫猿尾) |
ちょうな |
岐阜/(羽島)笠松町 |
木曽川(右岸) |
石水制 |
長約200m |
江戸期? |
町登録 |
町教委(木曽川歴史ガイドブック) |
一見して猿尾と分かりにくいほど自然と同化 |
かつて木曽川本流が、この付近でまともに堤防に当たっていた→何度も破堤→堤防防御のための猿尾築造/河原石と松の丸太で造られた基礎の上に石を載せる構造 |
3 |
B |
 |
横手堤猿尾 |
よこて |
岐阜/(羽島)笠松町 |
木曽川(右岸) |
石水制 |
長約400m→部分 |
江戸期? |
町登録 |
町教委(木曽川歴史ガイドブック)/馬場慎一 |
藪の中に石積みが一部確認できる |
大正時代の初めまで、この猿尾堤の南を木曽川本流が流れていた |
3 |
B |
|
 |
上内膳堤 |
かみないぜん |
京都/亀岡市 |
桂川・左岸(保津川渓谷入口の亀岡盆地末端) |
石水制 |
長37m(当初) |
慶長15(1609) |
|
市教委 |
補強工事 |
亀山藩主・岡部内膳正長盛/河畔の農地の侵食を防ぐための水制 |
2 |
C |
|
下内膳堤 |
しもないぜん |
京都/亀岡市 |
桂川・左岸(保津川渓谷入口の亀岡盆地末端) |
石水制 |
長90m(当初) |
慶長15(1609) |
|
市教委(曳船・川作p32) |
先端部が流失 |
亀山藩主・岡部内膳正長盛/河畔の農地の侵食を防ぐための水制/上記「上内膳」の600mほど下流 |
3 |
C |
|
 |
後楽園・鶴見橋下流の水制 |
こうらくえん・つるみ |
岡山/岡山市(北区) |
旭川(左岸) |
石水制 |
|
享保元(1716)~明和8(1771)の間 |
|
|
先端部は近代の修復 |
後楽園周辺に残る水制の中で、最も原形に近いもの/上部の石組みは恐らく江戸期のもの |
3 |
C |
 |
出石の水制 |
いずし |
岡山/岡山市(北区) |
旭川(右岸) |
石水制 |
|
不詳 |
|
|
基部を除いて補修大 |
石積みは江戸末期~明治期のもの=後世の補修か、その時代の新設か史料がないので不明 |
4 |
C |
 |
水内橋下流の猿尾 |
みのち |
岡山/総社市 |
高梁川(右岸) |
石水制 |
長77m |
江戸後期? |
|
山本 均 |
修復の度合いは不明 |
2018年7月の西日本豪雨の際、高梁川の該当箇所の堤防の防御に効果があった |
2 |
C |
 |
落合橋下の猿尾 |
おちあい |
岡山/高梁市 |
高梁川 |
石水制 |
長約100m,幅7~10m |
17世紀中頃? |
|
市教委/現地解説板 |
先端部を近代の谷積流に改修(平成18)→雰囲気が破壊 |
現存する県内最大級の石水制/高梁川と成羽川の合流点に設けられた突堤/高瀬舟の船着場/備中松山藩主水谷氏が高瀬舟の水路開削に伴い、整備した護岸石垣を利用して築かれた(伝承) |
4 |
B |
 |
船頭町の船着場跡の水制 |
せんどう |
岡山/津山市 |
吉井川 |
石水制 |
|
江戸初期? |
|
WEB |
河岸上に水制のみ残る |
津山の高瀬船舟運の拠点 |
4 |
B |
 |
小田中の水制 |
おたなか |
岡山/津山市 |
吉井川 |
石水制 |
|
江戸期 |
|
WEB |
現役/良好な保存状態 |
吉井川に残る最大の水制(とは言っても、小型)/津山より上流 |
2 |
C |
 |
小林三角和久 |
こばやしさんかくわく |
広島/大竹市 |
木野川(左岸) |
石水制 |
|
慶長6-元和5(1601-19) |
|
WEB |
天端・側面ともC被覆 |
三角柱のようにきれいに造られた水刎/福島正則が築いた水制 |
3 |
C |
|
西城川のドウハネ |
さいじょう |
広島/庄原市 |
(川手町)西城川 |
石水制 |
|
江戸期? |
|
市教委 |
|
石積の大規模な水制が2ヶ所残る |
|
C |
 |
和久原川水制 |
わくはら |
広島/三原市 |
和久原川 |
石水制 |
8ヶ所 |
延宝8(1680)? |
|
調査 |
小規模な修復 |
和久原川の右岸側に連続して残る(三原城を守るため)/三原城の「東築出」の用地を確保するために造られた/和久原川西岸の東大橋の川上に1ヶ所、川下に5ヶ所、上流の清水橋の川下に2ヶ所現存/流水の強く当たる所の大石には、それぞれに穴を開け、鉄棒を通して連結してあるという/この様な特技を持った三原石工は宇和島の干拓工事などに呼ばれた/三原志稿に延宝8(1680)水刎が設けられたと書かれるが、和久原川の水刎という確証はない |
2 |
B |
 |
美波羅川の石刎 |
みはら |
広島/三次市 |
美波羅川 |
石水制 |
高約2.5m |
江戸期? |
|
WEB |
保存状態良好 |
自然石による石組の水刎/明治6に存在していたとされ、江戸期築造のものとも考えられる |
1 |
C |
 |
坪野の水刎 |
つぼの |
広島/
(山県)安芸太田町 |
太田川(左岸) |
石水制(三角形) |
突出長10m,
基底部幅35m |
嘉永6(1853) |
|
加計町の地区文化財1p45/吉岡速人 |
一部に近代の補修もあるが、全体に保存状態良好 |
三角水制の先端基部に大きな自然石(長約2m)を据え、周辺の石積と楔石で連結させた確固たる構造 |
1 |
B |
|
 |
古毛の大岩 |
こもう |
徳島/阿南市 |
那賀川 |
石水制(1つの岩) |
長約9m,幅約7m,周囲約23m |
慶応3(1867) |
市史跡 |
四国地方整備局 |
当時のまま |
上記「万代堤」の庄屋・吉田宅兵衛の孫が、増水時の万代堤の決壊を防ぐため、那賀川に迫って立っている覗石山から、水勢の最も強い所に巨岩を落とし「水はね岩」とした/事例がきわめて少なく貴重 |
1 |
B |
 |
菅田の逆ナゲ |
すげた、さか |
愛媛/大洲市 |
肱川①(上流からの順番) |
石水制 |
長7m,天端幅3m |
江戸初期 |
|
市教委
/WEB(伝統工法) |
先端の半分は明治以降の改修 |
大洲藩第2代藩主・加藤泰興(1623-74)の頃に石垣施工の名人・反田八郎兵衛に築かせたとされる /上流側に突き出た水制→小規模だが稀少 |
3 |
C |
 |
渡場ナゲ |
わたしば |
愛媛/大洲市 |
肱川② |
石水制 |
長40m,
天端幅2.5-6m |
江戸初期 |
|
市教委(同上)
/WEB(伝統工法) |
大規模な修復/中央部分は後補 |
同上/肱川の水制群の代表的存在 |
3 |
B |
 |
若宮ナゲ(下流側) |
わかみや |
愛媛/大洲市 |
肱川③ |
石水制 |
長15m,天端幅4m |
江戸初期 |
|
市教委
/WEB(伝統工法) |
上流側のナゲはC改修/下流側のナゲは保存状態良好 |
同上 |
2 |
- |
 |
五番ナゲ |
|
愛媛/大洲市 |
肱川④ |
石水制 |
長60m,
天端幅20m |
江戸初期? |
|
WEB |
一見保存状態は良さそうだが、どの程度オリジナルか不明 |
同上〔WEB(伝統工法)等に記載されていないため、江戸期のものかどうか不明〕 |
2 |
C |
 |
本郷ナゲ |
ほんごう |
愛媛/大洲市 |
肱川⑤ |
石水制(自然岩) |
長50m,天端幅7m |
江戸初期 |
|
市教委/
WEB(伝統工法) |
保存状態は良いが、ナゲとして“意図的”に手を加えられたものなのかどうかは不明 |
同上 |
2 |
C |
 |
八多喜ナゲ |
はたき |
愛媛/大洲市 |
肱川⑥ |
石水制 |
長28m,
天端幅3.5m |
江戸初期 |
|
市教委
/WEB(伝統工法) |
天端部に石張が確認できる程度で、周囲はCとCブロックで被覆 |
同上 |
4 |
- |
 |
米津ナゲ |
よなづ |
愛媛/大洲市 |
肱川⑦ |
石水制 |
長60m,
天端幅4-10m |
江戸初期 |
|
市教委
/WEB(伝統工法) |
保存状態良好 |
同上 |
1 |
C |
 |
須合田ナゲ(米揚場ナゲ) |
すごうだ |
愛媛/大洲市 |
肱川⑧ |
石水制 |
長30m,
天端幅3.4m |
江戸初期 |
|
市教委
/WEB(伝統工法) |
上流側を石材で補強 |
同上 |
2 |
C |
|
 |
杷木池田の水刎群 |
はき、いけだ |
福岡/朝倉市 |
筑後川(右岸)
/昭和橋直上流 |
水制(17基) |
|
江戸期 |
|
WEB(みさき道人) |
いろいろな保存状態が混在 |
江戸期の「筑後川絵図」に描かれている |
1-3 |
A |
 |
道海島の百間荒籠 |
どうかいじま・あらこ |
福岡/大川市 |
筑後川(右岸) |
石水制
(下流側に屈曲) |
長29m |
明暦2(1656) |
|
市教委 |
大幅に短縮 |
筑後川に290ヶ所程度あった荒籠の代表例(もともと100間あったかどうかは不明)/下流側に向かってカーブした形状が独特(荒籠中唯一) |
2 |
A |
 |
紅粉屋地先の荒籠 |
べにや・あらこ |
福岡/大川市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約30m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
崩壊が進んでいる |
筑後川の荒籠群(小型) |
3 |
C |
 |
向島地先の荒籠1 |
むかいじま・あらこ |
福岡/大川市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約20m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(小型) |
2 |
C |
 |
向島地先の荒籠2 |
むかいじま・あらこ |
福岡/大川市 |
筑後川(左岸) |
石水制(三角) |
長約40m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
大改修され、三角形の地形だけが残る |
筑後川の荒籠群(小型)/地形自体が三角形に出っ張っている |
4 |
B |
 |
青木島地先の荒籠1 |
あおきしま・あらこ |
福岡/久留米市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約60m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(中型) |
3 |
B |
 |
青木島地先の荒籠2 |
あおきしま・あらこ |
福岡/久留米市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約50m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(中型) |
2 |
B |
 |
青木島地先の荒籠3 |
あおきしま・あらこ |
福岡/久留米市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約25m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(小型) |
2 |
C |
 |
江島地先の荒籠1 |
えしま、
あらこ |
福岡/久留米市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約45m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(小型) |
2 |
C |
 |
江島地先の荒籠2 |
えしま、
あらこ |
福岡/久留米市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約25m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好(天端をC補強) |
筑後川の荒籠群(小型) |
3 |
C |
 |
楢津地先の荒籠 |
ならつ、
あらこ |
福岡/久留米市 |
筑後川(左岸) |
石水制 |
長約20m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(小型) |
2 |
C |
 |
江浦地先の水刎 |
えのうら |
福岡/みやま市 |
矢部川(左岸) |
石水制 |
長約25m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好/堤防からかない離れて残る |
矢部川の水刎群(小型) |
3 |
C |
 |
徳島地先の水刎 |
とくのしま |
福岡/みやま市 |
矢部川(左岸) |
石水制 |
長約23m |
江戸中期? |
|
筑後川河川事務所 |
江戸期の荒籠かどうか不明 |
筑後川の水刎群(小型) |
3 |
C |
 |
唐尾はね |
からお |
福岡/みやま市 |
矢部川 |
石水制 |
|
享保5(1720)以降 |
|
WEB |
外側から2段にコンクリートブロックで補強 |
田尻惣馬(柳川藩)の施工/矢部川をはさむ柳川・久留米両藩の対立の歴史 |
4 |
C |
 |
矢部川の旧ハネ |
やべ |
福岡/八女市 |
千間土居公園、矢部川 |
石水制 |
(6ヶ所→1ヶ所) |
元禄8(1695)以降 |
|
八女土木事務所 |
公園内に残る/完全な保存状態 |
矢部川中流に現存する水刎は珍しい |
2 |
B |
 |
徳富地先の荒籠 |
とくどみ |
佐賀/佐賀市 |
筑後川・大中島 |
石水制 |
長約30m |
江戸中期? |
|
筑後川河川事務所 |
どの程度近世の遺構が含まれるか不明/基部の護岸は恐らく近代の補強 |
筑後川の荒籠群(小型) |
3 |
C |
 |
諸富津地先の荒籠1 |
もろどみつ |
佐賀/佐賀市 |
筑後川(右岸)
・諸富橋上流約100m |
石水制 |
長約30m |
江戸期? |
|
筑後川河川事務所 |
どの程度近世の遺構が含まれるか不明 |
筑後川の荒籠群(小型) |
3 |
C |
 |
諸富津地先の荒籠2 |
もろどみつ |
佐賀/佐賀市 |
筑後川(右岸)
・諸富橋下流約100m |
石水制 |
長約30m |
江戸期? |
|
筑後川河川事務所 |
どの程度近世の遺構が含まれるか不明 |
筑後川の荒籠群(小型) |
3 |
C |
 |
大詫間地先の荒籠1 |
おおだくま |
佐賀/佐賀市 |
筑後川・最下流(右岸) |
石水制 |
長約100m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(中型) |
2 |
B |
 |
大詫間地先の荒籠2 |
おおだくま |
佐賀/佐賀市 |
筑後川・最下流(右岸) |
石水制 |
長約110m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(中型) |
2 |
B |
 |
大詫間地先の荒籠2 |
おおだくま |
佐賀/佐賀市 |
筑後川・最下流(右岸) |
石水制 |
長約160m |
江戸中期 |
|
筑後川河川事務所 |
保存状態良好 |
筑後川の荒籠群(大型)/最下流に位置 |
2 |
B |
 |
菊池川の石刎 |
きくち |
熊本/玉名市 |
菊池川 |
石水制 |
複数あるうちの、ごく一部 |
原点は天正16(1588)以降だが、現在基部に残存しているものも、恐らく江戸後期 |
|
現地 |
旧石刎の基部に残石の形で残る |
加藤清正の治水対策の1つ |
4 |
B |
 |
左近の石 |
さこん |
熊本/人吉市 |
人吉城<球磨川> |
自然石(安山岩)
(治水用) |
高2.2m,周囲10.8m,重31t |
慶長12(1607) |
|
現地解説版 |
昭和43、人吉城内に移設 |
家老・村上左近の進言/中河原の先端に巨大な石を置き、洪水に備えたり流路調節に使われた |
2 |
B |
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萩原堤のハネ群 |
はぎわら |
熊本/八代市 |
球磨川 |
石水制(三角) |
(4ヶ所) |
寛永9(1632)以前 |
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歴史の道・球磨川水運p.121/現地解説柱 |
かろうじて形態を留めているが、石材等は確認困難 |
加藤清正の家臣団の一人・加藤正方が八代城下を球磨川の水害から守るため、球磨川の大屈曲部に堤防を補強するため築いた「天神七刎」/正方は寛永9(1632)に京都に隠棲するので、それ以前の構築 |
3 |
C |
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和田内の刎 |
わたうち |
熊本/(上益城)甲佐町 |
緑川の田口橋の下流 |
石水制 |
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江戸期? |
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町教委 |
放置保存→ブッシュ化 |
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4 |
C |