エチオピア的 プロローグ エチオピアからみえる世界



伝統的な白布を身にまとったひとりの牧畜民。
腰には戦士の勇猛さをしめす刀剣をぶら下げている。
ふと古着の山のまえで足をとめると、おもむろにピンクの花柄シャツを試着しはじめた。
カメラに気づいて顔をあげた男の視線は、照れくさそうに宙をただよう。

ここは大地溝帯の底にあるメタハラという町のマーケット。
この灼熱の町のまわりには、ヤギやラクダなどの家畜に依存する「カライユ」という牧畜民が住んでいる。
彼らは、独特の生活スタイルを守りながら、悠然と自分たちの暮らしを続けている。
男たちのヘルメットのようなヘアスタイルが、トレードマークだ。

エチオピアという国は、「アフリカの角」と呼ばれるアフリカの北東の端にある。
ひとつの国のなかに80以上の民族が住んでいて、それと同じくらいの言葉が話されている。
西欧の植民地の影響をあまり受けなかったこともあって、独自の民族文化が保持されてきたといわれる。
アフリカのなかでも、もっとも「貧しい」とされる国のひとつだ。

さて、そんなエチオピアから、この東の果ての「経済大国・ニッポン」を眺めたらどんなふうに見えるだろうか?
まったく突拍子もない発想だけど、じつは彼らもまた、ぼくらと同じ時代を生きている。

日本人や欧米人が着なくなった大量の古着は、いまや遠くアフリカまで運ばれて売買されている。
アメリカの教会がチャリティーで集めたような古着が、そのまま商人の手に渡ることもある。
牧畜民の男が手にしたシャツも、もしかしたら、ぼくらのお古かもしれない。
世界中で映画『タイタニック』が大ヒットしたとき、エチオピアのどんな田舎町に行っても、
デカプリオのプリントTシャツを着た若者であふれかえっていた。
エチオピアという遠い国は、どこかねじれながらも、ぼくらの“今”とつながっている。

それじゃあ、ぼくらは、いったいどんな“今”を生きているんだろう?
誰もが足をとめることなく、ひとつの方向に動きつづける都市、TOKYO。
そんな日本の「中心」から発信され、描かれつづける「世界」の姿。
その姿は、どこかバランスを欠いている。

エチオピアには、TOKYOからはけっして見えない、何かがある。
どこか奇妙で、ずれてて、おかしなことばかりだけど、いつも、ふと変なのは自分のほうかもしれない、って思わせてくれる。
そうやって写真を眺めていると、あのアフロヘアーと腰の刀剣が、とってもクールに見えてくる。
ぼくらが世界とどんなつながり方をしているのか、エチオピアという、もうひとつの「中心」から想い描いてみたい。

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