エチオピア的 第01回 「エチオピア=最貧国」?



「エチオピア」といえば、1984〜5年に起きた大旱魃のことを思い出す人がいるかもしれない。
旱魃地帯を逃れてやっとの思いで難民キャンプにたどりついた子どもたち。
その目や口もとに無数のハエがたかる。
栄養失調のせいで異様にお腹がふくれ、手足が骨と皮だけになったような彼らには、そのハエを振り払う力も残っていない。

飢餓の深刻さを世界中に知らしめたその映像は、
当時、九州の田舎の無知な小学生だった私の記憶にも、うっすらと残っている。
映像の力は絶大だった。

日本の24時間テレビなども含めて、世界中で避難民の救済キャンペーンがはられ、多くの援助の手が差し伸べられた。
イギリスのミュージシャンたちが参加した有名な“BAND AID”も、そのとき立ち上げられたチャリティ・プロジェクトだ。
ただ、その鮮烈な映像は、「エチオピア=最貧国」といったイメージを世界中に定着させることになった。

エチオピアに行って気づかされたのは、エチオピアのハエは、
日本のものとは比べ物にならないほど、とにかくしつこい、ということ。
とくに乾燥した低地なんかに行くと、日中はつねに顔にハエがたかっている状態になる。
手で何度ふり払っても、唯一のオアシスである水分たっぷりの目や口もとめがけて、突撃を繰り返してくる。
あまりのしつこさに、ときどき、うぎゃーっ!と叫び出してしまうほどだ。

そう、エチオピアのハエは、どんな元気な子供にも、そして栄養太りの日本人にもたかってくる。
外で元気に遊んでいる子どもたちにとっては、もう慣れっこだ。
顔にハエがとまっていようが、たいして気にもとめず、純真な笑顔でほっこりさせてくれる。

ただ、この「エチオピア=最貧国」というイメージは、
世界中の人びとの印象に刷り込まれただけではなかった。
エチオピア人、とくに都市で海外からの情報にふれて育った若者は、
世界の視線をそのまま自己イメージとして抱いている。

「エチオピアは、バックワードな国だ。この国に将来はない」。
首都のアジスなどで、エチオピア人自身の口から何度同じ言葉を聞いたことだろう。
その言葉を聞くたびに、とても複雑な気分になった。
ぼくらが、ひとつの国を貧しく、援助すべき対象としてみるとき、
そのまなざしが、彼らの希望と誇りを奪ってしまうのではないか・・・。

でも、そんなことおかまいなしに、
自分たちが世界の中心だと思って生きている人びとが、このエチオピアにも、たくさんいる。
次回は、そんなたくましい人たちの話もしよう。

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