エチオピア的 第02回 「知らない」という生き方



「おまえさんの国は、ジャルマニって言ったかね?」
「いえ、ジャパンっていう国です」
「ああ、ジャパニか。たしかスーダンの向こう側だったね」

老人は、遠くを見つめながら、何度もうなずいた。
エチオピアの村に最初に住み込みはじめたころのこと。
私は放牧された牛を見守るひとりの老人と草原の木陰に並んで座っていた。
老人は、どこの何者かもわからないような「ファレンジ(外人)」に、ぽつりぽつりと村の牛の話を聞かせてくれた。

折しも、サッカー日本代表がはじめてワールドカップに出場したフランス大会の開催中。
日本の試合を観るために街にもどると、子供から大人までが食堂のテレビを食い入るように見つめていた。
でも、サッカー中継はなかなかはじまらない。
画面には延々と場違いなコマーシャルが流されていた。

真っ白な部屋のマンションにくらす親子。
三色の歯磨き粉をつかって歯を磨く父親に声をかける美人の若奥さん。
ふりふりの衣装に身を包む女の子。
そして、彼らは真っ赤な高級車に乗り込んで、近代的な都市の景色のなかを走り去る。
あたかも、その歯磨き粉で歯を磨けば、そんなありもしない「幸福な」生活が待っているかのように。

村の生活とのあまりのギャップに頭がくらくらしはじめる。
ぽかんと口をあけて見つめていた隣の少年の目には、どう映っただろうか。
ひさしぶりの街の食事に腹をふくらませて村に帰ると、
居候先の老夫婦がまっさきに、いつものインジェラ(クレープ状の薄焼きパン)を出してくれた。

「さあ、たくさん食べなさい。ジャパニには、こんな美味しい料理はないだろうね。」

ぼくらは、今、世界中のさまざまな情報を一瞬のうちに手に入れることができる。
貿易センタービルに突っ込む旅客機も、北朝鮮が核実験を準備する様子も、ほとんどリアルタイムに知ることができる。
そして一方では、きらきら輝く目新しいモノに目を奪われ、うまそうな料理の映像に欲望を膨らます。
まるでせき立てられるかのように、次から次に「知ること」を強いられている。

老人の顔が問いかけている。
「それで、おまえさんは、いったい何を知ってるっていうんだい?」

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