エチオピア的 第03回 「働く」を考える



エチオピアの村の子供たちは、とにかくよく「働く」。
おつかいを頼むと、手渡したビニール袋と小銭をポケットにつめこんで、一目散に駆け出していく。
自分の身体の何倍もあるような牛のお尻を鞭で叩きながら、放牧地へと追っていく。
そんなときの彼らの真剣な目つきには、はっとさせられる。

重いジェリカンを頭の上にのせて運んでいる女の子たち。
日本でいえば小学校に入りたてくらいの年頃だろうか。
水場の近くで友だちと遊びまわってから、日が暮れる前にはジェリカンに水をつめて家路につく。
カメラを向けると、誇らしげに背筋をぴんと伸ばして並んだ。

「サブロ」という名の男の子がいた。
名前の響きに親近感がわいて、いっぺんにお気に入りの少年になった。
彼は、毎朝、学校に行く前に放牧地に家の牛を追ってきていた。
どちらかといえば物静かで、目が合うと、いつもはにかみながら、笑顔を返してくれた。

そんなサブロも、牛の話をはじめると、目の色が変わった。
「あそこの家には何頭の牛がいるの?」なんて聞くと、真剣に指折り数えながら答えてくれた。
他にも、どこにいい草があるとか、どうやって牛の群れを誘導すべきだかとか、
まだ10歳にもならないくらいなのに、いろんなことを教えてくれた。
ほんとうに、彼は何でも知っていた。

あるとき、サブロが放牧地にひとりでいるのを目にした。
「あれ、今日、学校は?」
「もう、行かなくなった。よくわかんないし、ノートも買えないから…」
彼は、ちょっとばつの悪そうな顔をして、うつむいた。

「児童労働」という言葉がある。
貧しさゆえに働かされて、学校にも通うことができない子供たち。
国際労働機関(ILO)のレポートには、
「途上国で、2億4600万人の子供たちが学校に行けず、過酷な労働を余儀なくされている」と書かれている。
でも、「働く」子供たちは、ほんとにみんな「かわいそう」なんだろうか。

今日も放牧地では、サブロが牛を追っている。
群れからはぐれそうな牛を見つけると、目をきりりとさせて、駆けだしていく。
そんなサブロの小さな背中を見ながら、思った。

彼にとって、「働く」というのは、たぶん「労働」じゃない。
牛を追いながら、大人にまじって畑仕事を手伝いながら、
彼は「生きる」とはどういうことかを学んでいる。

さて、ぼくらは、どんな「生き方」を学んできただろうか・・・。

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