首都アディスから南西に約400キロメートル。
なだらかにつづく丘陵地の斜面に、「コーヒーの森」がひろがる。
3年ぶりに訪れた村は、エチオピアでも有数の緑豊かな地域にある。
村に着いたのは、ちょうどムスリムの祝祭アラファの前日だった。
翌朝、学校の運動場にムスリムの村人がみな集まって、
お祈りをするというので、カメラをもってでかける。
祈りを捧げる人びとの様子を、遠巻きから写真に撮る。
お祈りが終わり、懐かしい面々と次々に抱き合って、挨拶を交わす。
あっという間に、村人に囲まれてしまう。
と、「カシャ」と小さな音がする。
振り向くと、村人のひとりが携帯電話のカメラを私に向けていた。
これまで村人の写真を一方的に撮るばかりだった私が、
今度は、村人から撮られる側にまわった瞬間だった。
3年のあいだに、私がお世話になっていた農民の家にも電気がとおり、
裕福な村人のなかには、"モバイル"をもつ者もではじめた。
ある日、私が携帯をもっているのを聞きつけて、
遠慮がちに、隣に住む家族がたずねてきた。
「じつは、娘が遠くの親戚のところに行っているので…」。
電波が悪く、なかなかつながらないので、
兄弟が屋根の上にのぼって、ダイヤルする。
「ハロー!?ハロー?…聞こえるか?ハロー!」
彼の大きな声を聞きつけて、近所の者たちも集まってくる。
携帯をみんなでまわしながら、それぞれ話をする。
「元気にしてる?こっちはみんな元気だよ。ほんと元気なの?」。
みんな、ただただ、そうやって互いの安否をたずねあうばかり。
それでも、みんな幸せそうだ。
孫の声をひさしぶりに聞いたおじいさんが、
帰り際、私への感謝の祈りを捧げてくれる。
「神があなたを祝福してくれますように、
長い寿命を与えてくれますように、
大きな成功をおさめられますように……」
集まった人びとが、みな祈りにあわせて、
「アーメン、アーメン」と唱応する。
村の美しい夕暮れどき。
ひとときの賑やかさが去り、静かに黄昏れていく。
「調査者」としての私の存在は、けして透明人間ではない。
こうして人びとの生活にいろんなものを持ち込み、
影響を及ぼし、何かを変えてしまう。
そして、みんなからいろんなものをもらい、
教えられ、心を揺さぶられ、私のなかの何かが変わる。
さて、こんな生活のなかから、私は何を「知ろう」としているのか。
次回からは、少しずつ、「研究」っぽい話もしていこう。
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