エチオピア的 第12回 エチオピアの村の暮らし 〜食べもの編 Part2〜



アフリカに行っているというと、
かならずといっていいほど聞かれることがある。

「なんか、変な虫とか食べるんでしょ?」

テレビ番組の過剰な演出のためか、
「アフリカ(未開の地)=変な食べ物」というイメージが強いようだ。
それは、異文化の「食べ物」への関心が高いことの裏返しでもあるのだけど。

そんなとき、いつも次のように答えることにしている。

「たぶん、日本人のほうが、“変なもの”たくさん食べてるよ」

そう、多くのエチオピアの人が、かなりストイックなまでに、
“変なもの”を食べようとしない。

とくに「肉」については、けっこう厳格で、
基本的には、多くのエチオピア人が、
「鶏」「山羊/羊」「牛」以外の肉を口にすることはほとんどない。

それに、たとえ同じ「鶏」であっても、
異宗教の「肉」は、けっして食べてはならない、とされる。
肉は、屠殺するときにどちらの宗教の祈りが捧げられたかによって、
ある宗教の「肉」になる。

国民の多くを占めるキリスト教徒(エチオピア正教)とムスリムは、
ともに同じ3種類の肉を食べるものの、どちらの宗教の肉かきちんと区別している。
もちろん、レストランも別々で、肉料理の場合だけは、
近所の人でも、同じ食卓を囲むことはほとんどない。

日ごろ、お祈りもしないし、モスクや教会にも行かないような人でも、
違う宗教の肉だけは、絶対に口にしようとしない。
相手の宗教の肉が調理された鍋や皿を使うことも、けっしてない。
まるで宗教の区別が、どちらの「肉」を食べるかで決まってるかのようだ。

あるとき、首都のアジスで日本大使館が主催した日本映画祭が開かれた。
そこで、上映されたのが、日本の田舎暮らしが描かれた『絵の中のぼくの村』。
国際的にも評価された映画だけど、
日ごろ、香港のアクション映画とかを見慣れているエチオピア人には、
かなり退屈のようで、会場の雰囲気は、ずっと反応が薄いまま。

それが、ある場面で、突然、大爆笑が起こった。
少年が川でつかまえた「うなぎ」を七輪で焼く場面。
彼らの目には、日本人が「へび」を焼いて食べているとしか映らなかったのだ。
この瞬間、日本の田舎の美しい自然と暮らしを描いた作品は、
「世界びっくり人間」の映画になってしまった。

日本でも、「へび」を食べる映像を目にしたら、みんな顔をしかめるだろう。
でも、見た目では、ほとんど「へび」と変わらない「うなぎ」は、
おいしそうに食べるのに、なぜ「へび」は食べてはいけないのだろうか。
たんに、「味」の問題か、「文化」の問題か、はたまた環境への「適応」の問題か…。

この「食べ物」をめぐるタブー。
これは、文化人類学の大きなテーマのひとつなんですが、また、別の機会に。

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