さて、ここで、ふたたびエチオピアの村に戻って、
「民族」について考えていこう。
エチオピアには、80を超える民族がいるとされる。
言葉も宗教も違う多様な民族が、ひとつの国のなかで生活している。
それは、どういう状況なのだろうか?
みんな「日本人」であることがあたりまえの日本からは、
ちょっと想像が難しいかもしれない。
これまで紹介してきた私の調査村は、コーヒー栽培地帯にある。
コーヒーという貴重な換金作物を求めて、さまざまな地域から移民が流入してきた。
村には大小あわせて、7つくらいの民族がともに暮らしている。
もっとも多いのが「オロモ」といわれる人びとで、エチオピア最大の民族でもある。
エチオピアの南半分に広く居住しているため、方言や生業の違いも大きい。
村に住むオロモのなかにも、他地域から移住してきた人が少なくない。
他地域のオロモにはキリスト教徒もいるが、この地域のオロモの多くがムスリムである。
2番目の民族が「アムハラ」。
おもにエチオピア北部の高原に住むキリスト教徒の民族で、
古くからキリスト教の王朝をつくりあげてきたことで知られている。
サハラ以南のアフリカで、唯一、独自の文字をもつ民族でもある。
エチオピアのなかでも、長いあいだ支配的な立場にあり、
彼らの「アムハラ語」は、国中でもっとも広く話されている。
村でも、ほとんどの人がこのアムハラ語を話すことができる。
3番目に多いのが「クッロ」といわれる民族。
彼らは、おもにコーヒーの摘み取り作業を担う出稼ぎ民として、
南部からこの地域に移り住むようになった少数民族である。
「ダウロ」と「コンタ」という隣接する民族の出身であることが多いが、
村人からは、区別されることなくまとめて「クッロ」と呼ばれている。
20世紀初頭までは、奴隷としてこの地域に売られてきていた時代もある。
いまでも経済的に貧しいことから、社会的地位が低くみられている。
そのほか、「カファ」「カンバータ」「グラゲ」「ティグレ」といった民族がいて、
異なる出身の人びとが、同じ集落のなかでともに暮らしている。
もちろん、それぞれの民族は、独自の言語をもっている。
ただ、村人のほとんどが、多数派のオロモ語と、
共通語のような役割を果たしているアムハラ語をともに話すことができる。
オロモ語とアムハラ語は、語彙から文法までまったく違うのに、
みんな器用に複数の言語になじんでいる。
街からの乗り合いバスなどに乗ると、
人びとが、オロモ語やアムハラ語を話題や相手によって、
切り替えながら話をしていて、とても面白い。
ずっとオロモ語で会話がつづいていても、
ひとつのアムハラ語の単語をきっかけに、アムハラ語になったり、
オロモ語の会話にアムハラ語を話す人が加わることで、
オロモ語とアムハラ語が入り混じったまま会話が続いたりする。
そして、当然、異民族どうしが結婚することだってある。
その子供は、基本的に父親の民族を名乗るのがふつうだが、
ことは、それほど単純ではない。
ある青年の祖父は、南部の少数民族「カファ」の出身で、
祖母は現在の政府で中心的な役割りを果たしている「ティグレ」だった。
さらに彼の父親は、「クッロ」の女性と結婚した。
彼は「カファ語」「ティグレ語」「クッロ語」、そして「アムハラ語」を話すことができた。
あるとき、その青年に「民族は何なの?」と問うと、彼は「ティグレだ」と答えた。
そばにいた青年の友人が、「お前は、カファだろう」というと、
青年は、苦笑いしながら、黙ってしまった。
彼にしてみれば、北部の有力な民族である「ティグレ」のほうが体裁がよかったのかもしれない。
こうした例は、けっしてめずらしくない。
祖先を数世代さかのぼれば、異なる民族の名前がでてくることも多い。
民族が異なるとはいっても、外見からはほとんど判別することはできない。
また、多くの人が複数の言語を話せるような状況では、
何をもって違う民族といえるのか、その境界は明確ではない。
自分は、どの民族に属するのか?
この基本的な「アイデンティティ」はつねに流動的な状況にある。
でも、「宗教」の違いは大きいかもしれない。
次回は、この「宗教」に注目してみよう。