エチオピアの村で生活していると、
自分があたりまえだと思っていたことがまるで通じない場面に出会う。
そこから、「なぜ?どうして?」という問いかけがはじまる。
私のエチオピアでのフィールドワークも、そんな「問いかけ」の連続だった。
最初にエチオピアの農村部に入ったとき、
私は村の中央を走る道沿いの長屋を間借りして生活をはじめた。
町から安いスプリング・ベッドや生活用具などを買いそろえ、
大家から借りた大きなテーブルの上には、フィールドノートや単語帳、
筆記用具などを並べて、ちょっとした「研究室」をつくりあげていた。
通りに面していたこともあって、私の部屋にはよく村人が訪ねてきた。
人びとは私のテーブルの前に座ると、
きまって机の上に並べられた私の持ち物を手にとり、
「これは何だ?」、「何に使うんだ?」と質問してきた。
最初は、話の種のつもりで気軽に応じていたが、
しだいに同じ問いに答えるのに疲れ果ててしまった。
「ちょっと、ほっといてくれー」というのが、正直な気持ちだった。
私の調査は、まず村人から調査されることから始まったようなものだった。
そんなある日、大家が古ぼけたテープレコーダーを手に私の部屋に入ってきた。
私の間借りした部屋と大家の部屋とは裏の物置のようなところでつながっていて、
彼は、いつもふらりと私の部屋に入ってきた。
大家はカセットを入れる部分がむき出しになった壊れかけのテープレコーダーを
机の上におくと、「日本の音楽でも聴いたらいい」と言いだす。
急にどうしたのかといぶかしく思っていると、
彼は机の上においてあった私の短波ラジオを手に取り、
「いいラジオだな。これは小さくて仕事にもっていくのにちょうどいい」といって、
そのまま、何やらつぶやきながら自分の部屋に持っていってしまった。
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
たしかに彼は「貸してくれ」とも、「ちょっと聴かせてくれ」とも言わずに、
私のラジオを自分の部屋に持ち帰った。
テープレコーダーを代わりにもってきてくれたのだから、
と自分を納得させようとしたが、
彼の行動への違和感をどうしても拭い去ることができなかった。
そして、あとで彼がそのラジオを自分の職場である
コーヒー農園に持っていったことを知って、さらに違和感は大きくなった。
そのとき私のなかに湧きあがったのは、
「せめて自分がいるこの家のなかで聴くのならいいけれど、
それが私の目の届かない遠くの仕事場までもっていくとは何事なんだ!」
という怒りに近い感情だった。
「わたしのもの」なのだから、
私の許可をえてから使うのが当然だ。
そんな気持ちが渦巻いていた。
よっぽど大音量で聴きつづけていたのか、
結局、短波ラジオは2、3日で電池切れになって戻ってきた。
この短波ラジオの一件で、
「わたしのもの」がまるで私のものではないかのように
扱われてしまったことへの違和感がずっと心に残っていた。
「わたしのもの」をめぐる感覚が、彼らと私とでは違うのだろうか?
自分が「わたしのもの」だと信じてきた認識のほうが、
ひょっとしたら、おかしいのだろうか?
まだ研究テーマとも言えないような、小さな問いかけの種が芽生えた。
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