エチオピア的 エピローグ <わたし>という迷宮




「民族」についての話をはじめるときに、
このテーマが、われわれ/かれら、わたし/あなた、
という区別を理解することにつながると書いた(第13回)。
これまでの話をふまえながら、核心にせまろう。

ぼくらは、なんらかの行為を理解するときに、
つねに、それをある集合的なカテゴリーと結びつけて把握している。
それは、職業かもしれないし、性別や年代、血液型かもしれない。
たくさんのカテゴリーのなかから、ひとつだけが選ばれて、
はじめて、ある場面の行為が理解可能になり、その人は「何者か」になる(第14〜16回)。

「A子がB男の手をひいて歩いている」。
この場面で「女/男」というカテゴリーが結びつけば、
ふたりは恋人どうしのように思える。
でも、それが「母親/息子」というカテゴリーとなれば、
「母親が息子の手をひいて歩いている」となって、まったく違う情景が目に浮かぶ。

たしかに母親と息子は、女と男であることに変わりないけれど、
それらのカテゴリーは、同時に並存することはできない。

こうして、無数の差異のなかから、「男/女」という差異の線引き、
あるいは「息子/母親」という差異の線引きが選ばれると、
ある人は、「女」になったり、「母親」になったりする。

これと同じように、「われわれ」が「日本人」として存在するためには、
何らかの違いによって区別される「かれら」が必要になる。
世界中の人が、みんな同じだったとしたら、「日本人」というカテゴリーは
意味をなさなくなるし、「われわれ」が「日本人」であることは不可能になる。
ぼくらは、ある差異の線引きにおいて、はじめて「日本人」になる。

そして、「わたし」が「教員」でありうるのは、「学生」との対比において、
その立場や資格、能力などに違いがあることが想定されるかぎりにおいて、である。
(じっさい、そこに本質的な「差異」があるかどうかは、わからない)

ちょっとわき道にそれるけれど、
最初に大学の教壇に立ったとき、なんともいえない感覚を味わったものだ。
ちょっと前までは、講義室の席について先生の話を聞いていたのに、
なぜか自分が、学生の前で偉そうに話をする立場になっている。
自分でも不可解で、なじめなさというか、後ろめたさのようなものを感じた。
それでも、その不可解さを感づかれないように、
まるでずっと「教員」であったかのように、マイクを握りしめ、
声をはりあげて、「学生」に向かって語りかけたものだ。
そうして「わたし」は「教員」としての自分のあり方を獲得していった。

ただし、何度も繰り返しているように、
この「教員」というアイデンティティは、
あくまでも「わたし」という存在の、
ある場面/関係に限定された、ひとつのあり方に過ぎない。

エチオピアの「民族」だって同じ。
異民族のあいだの「違い」がそれほど本質的でも、固定的でもないからこそ、
言葉だって、宗教だって、場面や時間の経過とともに、
民族をこえて使われたり、まじりあったりしている。
ただし、「あいつらはよそ者だ」「われわれとは違う」と差異が強調されると、
そこに、はじめて明確な「かれら」が姿をあらわし、
同時に「われわれ」という集団の輪郭も浮かびあがってくる。

「われわれ」は、「かれら」との差異において、「われわれ」でありうる。
同じように、「わたし」は「あなた」との差異として「わたし」となる。
最初から、明白で確固とした「わたし」の存在/内実があるわけではない。
「われわれ」や「わたし」という存在は、つねに自明でも、不変のものでもないのだ。

「われわれ」が「われわれ」であるために、
「わたし」が「わたし」であるために、ぼくらは、つねに「他者」を必要としている。
その「他者」との「差異」を見いだし、
ときにその違いを誇張したり、捏造したりする必要がある。

そんな不確かで、ぼやぼやとした「わたし」という存在。
だからこそ、ぼくらは、いろんな手をつかって、
その「わたし」を何かにしっかりとつなぎとめようとする。

たとえば、いろんなモノを「わたしのもの」と「ひとのもの」とに分けて、
「わたし」の輪郭を確固たるものにしようとする。
その「わたしもの」の領域が侵害されそうになるとき、
「わたしのもの」がまるで「わたしのもの」ではないかのように扱われるとき、
人は「わたし」を支える足場を失ってしまうかのような不安に陥る。
(第2回のラジオの話を思い出してほしい)

こうして、いつも「わたしのもの」を確保しておかないと気が済まないのは、
「わたし」という存在の不確かさに、どこかで気がついているからかもしれない。

ぼくらが「わたしのもの」あるいは「自己」そのものと信じる自分の「身体」でさえも、
日々、多くの「他」なる物質を外部からとりいれなければ、維持できない。
そもそも、父親と母親に連なる無数の人びとの交わりなしには、存在すらしていない。
その身体を動かして、自分の努力/能力/意志で行ったと思っている「仕事」も、
さまざまな人びとの関係や経験、制度の積み重ねのなかで、はじめて成り立っている。

どこからが「わたしのもの」で、どこからが「ひとのもの」か、
この自/他の区別は、ほんとうは不可能に近い作業になる。

こうした混沌とした無数のつながりのなかで、
「わたし」は、「他」なる「あなた」との出会いによって、
はじめて、その姿をあらわすことができる。

「あなた」という他者なくして、「わたし」は存在できない。
「わたし」は、ひとつの関係として、「あなた」とのつながりおいて存在している。
だからこそ、「わたしのもの」は、限りなく「あなたのもの」でもあるのだ。

長い間、「エチオピア的」にお付き合いいただき、ありがとうございました。



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