エチオピア的 第4回 「寛容さ」と「不寛容さ」のはざま



個人の土地であっても、収穫が終わってしまえば、
誰もが自由に使える放牧地となる。
村の土地の所有や利用のあり方に、
「なんて寛容な人たちなんだ」、というのが最初の感想だった。

それは、当時、日本で調査していた牧場の光景とは、まるで違っていた。
有刺鉄線で囲まれた放牧場では、隣の牛が首をのばして
自分のところの草を食べたといっては、ケンカになっていた。

日本人とエチオピアの農村に暮らす人びととでは、
「わたしのもの」についての感覚が違うのではないか?
ラジオにしても、収穫が終わった畑の土地にしても、
利用できるものであれば、あえて他人を排除することはしない。
そんな誰のものでも「みんなのもの」として扱うような寛容な「所有観」があるように思えた。

ただ、村の生活をつづけているうちに、
しだいに「寛容さ」だけでは片づけられない場面を目にするようになった。

村では、トウモロコシの収穫が終わるころ、
袋をさげて歩きまわる人の姿をよく目にした。
貧しい者が作物を分け与えてくれるようお願いしてまわっているのだという。
わたしがお世話になっていた農家にも、何人もの人が訪れた。
その多くが年をとった女性だった。

50歳代のある女性は、夫と離婚したこともあって、
毎年のように集落中を歩きまわって物乞いしている。

女性は、トウモロコシを10本ほど分けてもらった数日後、
また、農民の家をおとずれて、次のように言った。
「もっとトウモロコシをちょうだいよ!
このまえ少しだけくれて、それで与えたとでも思ってるの?」。

作物を分けてもらうというのに、まるで「もらって当然だ」といった口ぶりだった。
このとき、彼女の言葉を聞いた男性は、吐き捨てるように答えた。
「この前だって多すぎたくらいだ!」。

別の女性は、60歳をこえる未亡人だった。
「ひとりの息子は病気だし、もうひとりの息子も畑を耕すことはできない。
わたしには何もない。トウモロコシを少し分けてほしい・・・」。

弱々しく語る彼女の話をきいてあげていた母親に、
ちょうど畑から戻ってきた30代の息子が声をあげた。

「一本も与えるなよ!他人にあげるほどの余裕はないんだからな。
おれたちと一緒に畑を耕したとでもいうのか!」。

そのすごい剣幕に、はっと息をのんだ。
あとで彼にたずねると、次のように答えてくれた。

「むかしはたくさんの収穫があっても、両親は村人が穀物袋をもって物乞いにくると、
すぐに分け与えてしまっていた。最後には1年分あったトウモロコシも半年で
なくなってしまって、ほんとに大変だった」。

与えすぎると、今度は自分たちが困ってしまう。
人びとは、貧しい人に分け与えることが大切な行いであるとわかっていながらも、
つねに分配をめぐるジレンマのなかで葛藤している。

自分の富でも他人に分け与える「寛容さ」と、
それをときに頑として突っぱねる「不寛容さ」。

この矛盾をどのように紐解いていけばよいのだろうか?
「所有」をめぐる謎は、いっそう深まるばかりだった。

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