自分のものであっても、気前よく他者に分け与える「寛容さ」、
そして、高齢の物乞い女性を厳しい口調で追い返すような「不寛容さ」。
このふたつの相容れないイメージに、最初は大きな戸惑いを覚えていた。
彼らの「所有観」を、どのようにひとつの「概念」として描けるのだろうか?
そもそも、そういったものはあるのだろうか・・・。
非西洋社会には、西洋近代の「私的所有」とは異なる独特の所有概念が存在する。
この視点が、文化人類学の民族誌で描かれてきた古典的な考え方だった。
しかし、調査の過程で、この視点そのものを少しずつ疑っていくことになる。
あるとき、100歳を超えるという集落で最高齢の女性が、農民の家にやってきた。
彼女は「アムハラ」といわれる民族の出身で、日常的にはアムハラ語を話しているが、
このときオロモ農民のもとを訪れた彼女は、流暢なオロモ語を用いて話しかけていた。
「二人の子供たち(兄弟である村の若者)が(孫娘をめぐって)けんかして、
私も殺されそうだったから、ここに来たのよ。私には親戚はいないの。
それで、おそろしいのよ。娘(孫娘)は二人がきたら、
キッタ(薄焼きパン)やミルクをあげちゃうし、
私は、断食の状態で夜を越しているのよ。さっきも、娘が家に入ろうとしたら、
ニワトリのように、ふたりで睨み合ってけんかしてるのよ・・・」。
女性は、孫娘をめぐるふたりの若者のけんかを面白おかしく語りながら、
自分が困難な状況にあることを何気なく訴えかけていた。
そして農民がタロイモを渡すと、彼女は、キリスト教徒であるにもかかわらず、
ムスリム・オロモの慣用表現を用いて、感謝の祈りを捧げはじめた。
「兄弟よ、あなたに寿命を与えてください。
(褒美をもらって)喜んでる人のように、家に帰って横になって食べるわね。
帰って、2つのタロイモをつかんで、口のなかに入れたら、
わたしたちのオロモの祖先が(ライオンなどを)殺したときのように、
誇らしく、威張ってみせるわ」。
「つつがなく年を重ねていけますように。毎年、タロイモがよく実りますように。
毎年、子供が生まれて、育てて、女の子を産んで育ちますように・・・。
われわれの偉大なアッバ・ヤブ(イスラームの聖人)の恵みがありますように。
食べ物に(なくならないように)祝福をあたえてくれますように」。
もちろんタロイモを渡した農民も、
彼女が「キリスト教徒」の「アムハラ」であることを知っている。
それでも、女性が、オロモ語を用いて「オロモの祖先」や
「イスラームの聖人」に言及しながら感謝の祈りを捧げたことで、
その場は、終始、和やかな雰囲気で「富の分配」が行われることになった。
そこでは、「言語」や「宗教」、「民族」までもが
食物を手に入れるレトリックとして利用されていると言えるかもしれない。
こうした日常のなかの物乞いの場面からは、
富の分配が行われる背景について、ムスリムのあいだで貧者に喜捨をすべき、
という規律が守られているからだ、などと単純に説明することはできない。
貧しい者は、相手から富を引き出すために、
さまざまな方法を駆使しながら働きかけを行っており、
その結果として富の分配が遂行されている。
数日後、同じ女性が再び農民の家を訪ねてきた。
「このまえのタロイモは、娘たちが全部食べてしまったの」と訴える女性に対し、
農民の妻が「今日は、家のなかに何もないから、別の日にきて」と伝える。
このとき女性は「あらそう、それなら帰って寝るわよ」といってすぐに帰っていった。
困窮した状況にあっても、同じ相手からつねに分配が受けられるとは限らない。
相手との関係やこれまでの経緯、その場の対面的な交渉のなかで、
分配が行われたり、断られたりするのである。
富をめぐる人びとの「相互行為(インタラクション)」に注目する。
「所有」という問いへのひとつの小さな突破口が開けた。
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