バルカン-トルコ語とは

トルコ語はトルコ共和国内でのみ話されているわけではありません。ギリシャ、ブルガリア、シリア、イランなど周辺諸国にも数の多い少ないはありますが話者がいます。しかしその場合、一般的に若い世代では二言語併用が進んでいることが多いといえます。バルカン-トルコ語は広い意味では、トルコ共和国を除くバルカン半島一帯で話されているトルコ語を指します。この場合、ブルガリア北東部やモルドバ南部に分布しているキリスト教徒のトルコ語の話者であるガガウズ語を含めて考えることもできます。狭い意味ではイスラム教徒であるトルコ語話者のみを指すこともあります。一応ここでは、イスラム教徒のトルコ語をバルカン-トルコ語と呼ぶことにします。ガガウズ語とトルコ語の違いは微妙なものがあります。ごく大雑把にいってガガウズ語のほうが統語法がかなり自由です。また語彙的な違いもかなりみられます。しかし音韻的特徴に関しては両者の間にはかなり共通点がみられます。バルカン-トルコ語(ラズグラット方言)はかなりトルコ語(イスタンブル方言)と似ているので相互理解はほぼ可能ですが、ガガウズ語(モルドバ共和国)はトルコ語を知っていてもバルカン-トルコ語ほどは通じないことになると思います。次にあげるのはイスタンブル在住のブルガリアからの移民の方にバルカン-トルコ語でまず作文してもらい、それを読み上げてもらいました。トピックは8月17日に起こったマルマラ大地震の体験についてです。

インフォーマントについての情報
1944年 ブルガリア共和国 ラズグラット生まれ(デリオルマン地区) 女性
1989年よりトルコ共和国在住 ブルガリア語との二言語併用(ブルガリア在住時)
家庭内ではトルコ語を使用

採集言語資料

17 Avustos 1999

Ben ve ailem evdeydik. O avsam ic bi seyden aberimiz yoktu. Yemee yidik, televizyon baktik ve yattik. Hava cok sicakti. Ben uykudayken birden odanin sallandiini duydum. Ve cok korktum. Emen ayaa kalktim, o anda aklima olum geldi, ve dua etmee basladim. Kizim ve kocam ucumuz de dairenin koridorunda toplandik, soona ne yapacamizi sasidik. Emen disari cikalim dedik. Ismail sirtina esya arareri
bi tuulu bulameri, Sonna da bi sey buldu ve bu sirada elektrikler sondu. Karanlikta disari ciktik. Erkes telas icinde ovaya dooru gittik. Komsulara gecmis olsun dedik. Bi ara Ismail bey arabanin ackilarini unutmus onnari gitti almaa, gelince koktuk yeni bi deprem olup ta ona bi sey olmasin diye ama cok sukur geldi.
arabaya bindik ve sabaa kadar orada radyo dinnedik. Sonra saat 8de ise geldik. Kutupanede cok fazla bi sey yoktu yalniz ust raflarin kitaplar cou yerde idi. Iki uc gunduu hep kooku icnde eve gidip yemeemizi yer yemez yine disariya cekeri, depremin youn olduu yerlerde isanlarin nasil dayandii ic aklima girmiyor. Alla epimizi korusun ve beterinden saklasin
Amin deriz

Fatma

日本語訳

1999年8月17日

私と家族は家におりました。あの晩、なんの前触れもありませんでした。食事をしてテレビをみて就寝しました。とても暑い夜でした。私は眠っているときに突然、部屋がゆれるのを感じました。とても恐ろしかったです。すぐに飛び起きましたが、その時死の恐怖が頭を過ぎり、お祈りを始めました。娘と主人の3人は住居の廊下に集まりました。そしてどうしようかと思案しました。すぐに外に出ようと決めました。夫のイスマイルはなにか家財道具を担いで出ようと探しますが、適当なものを見つけることが出来ません。そしてやっと何かを見つけたところで停電してしまいました。暗闇の中を外に出ました。他のみんなもあわてて平地の方に向かって避難しました。近所の人たちに”お気の毒様”と言いました。そうしているとイスマイルさん(夫)は車のキーを忘れてきたことに気づき家に取りに戻りました。その間、余震が来て夫に何もありません様にと心配しましたが、幸いなことに無事戻ってきました。
車に乗って朝までそこでラジオを聴きました。その後、朝の8時に職場に行きました。図書館ではたいした被害はありませんでした。ただ上の棚の本のほとんどが下に落ちていました。2−3日間は恐怖のなかで家に戻り、食事をするとすぐに外に出る毎日でした。地震が頻繁におこる地域で人がどうやって過ごしているかなどと考えてみもしませんでした。神様みんなを、最悪の事態からお守りください。アーメン

ファトマ

音声資料(一部) AIFF File  約1MB fatma1.AIFF

文中にみられる音韻的・形態的特徴のうちトルコ語とは異なるもの(右がトルコ語の単語)

軟口蓋閉鎖音の摩擦音化
avsam < aksam ”晩”

h音の脱落
ic < hic ”全く”
Emen < hemen ”すぐに”
Erkes < Herkes ”皆”
Kutupanede < Kutuphanede ”図書館”
aberimiz < haberimiz ”我々の知らせ”

r音の脱落
bi < bir ”1”
sasidik < sasirdik ”我々は驚いた”

対格の与格への融合
Yemee < Yemegi ”食べ物を”

狭母音化
yidik < yedik ”我々は食べた”

n音の脱落と代償延長
soona < sonra ”後”

進行形語尾の変化
arareri < ariyor ”探している”
bulameri < bulamiyor ”見つけることが出来ない”
cekeri < cekiyor ”出る”

r音のn音化
Sonna < Sonra ”後”

l音のn音化
onnari < onlari ”彼ら”
dinnedik < dinledik ”我々は聴いた”

r音の脱落と代償延長
tuulu < turlu ”いろいろ”
kooku < kork ”恐怖”

表記上の問題 (soft gの不使用)
etmee < etmege ”売りに”
almaa < almaga ”買いに”

n音の脱落

isanlarin < insanlarin

統語法上の不規則性 (目的を表す句の後置)
onnari gitti almaa < onlari almaga gitti ”彼らは買いに行った”


*本稿は平成10-11年度科学研究費補助金(奨励研究A 研究者代表 栗林裕 課題番号08710362)による研究成果の一部である。

**音声資料と作文で相違がある箇所があるが、インフォーマントが現代トルコ語にひかれている場合はバルカン-トルコ語の作文の方を文字資料作成上で優先した箇所がある。

***トルコ語の特殊文字はアルファベットの代替文字で表記している。



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