ブルガリアのトルコ語とガガウズ語の調査報告  
                                               岡山大学         栗林 裕

1.ブルガリアのトルコ語

 ここでは、ブルガリアに住むイスラム教徒であるトルコ民族の母語を指すことにする。バルカン・トルコ語あるいはトルコ語ルメリ方言と呼ばれることもある。オスマン帝国の領土であった歴史的理由よりバルカン半島には多数のイスラム教のトルコ人が居住している。トルコ共和国成立後は様々な理由でバルカン半島から小アジアのトルコ共和国領土内へのイスラム教徒トルコ人は移民としてやってきたが、いまなお多くのトルコ系民族がバルカン半島には居住している。今回行った調査はブルガリア北東部デリ・オルマン地区であるので以下における呼称ではバルカン・トルコ語をデリ・オルマンのトルコ語方言と同義で用いる。ブルガリアのイスラム教徒のトルコ民族の起源については諸説ある。デリ・オルマンのトルコ民族に限って述べると、例えばMoskovは黒海北方からのトルコ系民族と小アジアからのトルコ系民族が時間差を経て混合したという説をとり、イスラム化したのはオスマン帝国のトルコ民族が移住してくる以前であったと主張する。しかし当事者達は自分たちの祖先は15世紀に小アジアのコンヤからやってきたオスマン帝国のトルコ民族の末裔であると考えている。

2.ブルガリアのガガウズ語

 ガガウズ語は言語の系統としてはチュルク諸語のなかで南西グループに属する現代トルコ語(イスタンブル方言)に近い言語である。話者数は現モルドバ共和国が一番多いが、周辺諸国であるウクライナやブルガリアにも少なからず居住する。ブルガリアではガガウズ語を母語とするガガウズ人はトルコ人とは切り離して考えられてきた。つまりトルコ系の言語を話すが宗教はキリスト教徒であるため、宗教を同じくするブルガリア人と認識されてきた。したがってモルドバ共和国の状況とは異なり、ガガウズ人としての話者数の統計資料等がほとんどない。18世紀末より19世紀初頭にかけてベッサラビア(現在のモルドバ南部)に現ブルガリア黒海沿岸より多くのガガウズ人が移住を行った。この理由でブルガリアのガガウズ人は少数しか残っていないといわれる。ブルガリアのガガウズ語話者数を3万人程度と推定する研究者もいる(Zjaczkowski 1966)。ガガウズ民族の起源に関しては諸説があるが、その一つとして黒海北方からのトルコ系民族および以前より居住していた南方系民族と小アジアから移住してきたトルコ系民族およびトルコ化した民族の混合説などがある(Kowalski 1931)。なおブルガリアにはガガウズ人とは逆に母語がブルガリア語であるが宗教はイスラム教徒であるポマック人と呼ばれる民族も居住している。さらにロム人(ジプシー)も居住し、これらはイスラム教徒の場合もあるし、キリスト教徒の場合もある。使用言語もブルガリア語やトルコ語やロム語等の二言語生活をしており、そのあり方は地域によって様々である。ロム人のトルコ語はガガウズ語やバルカン・トルコ語にも類似する点も数多く見られ興味深い。トルコ語との関連でのロムの言語についての言語学的研究は近年始まったばかりである。

3.これまでの研究状況

 バルカン・トルコ語については前世紀初頭より記述的研究が存在する。また1950年代以降にはソフィア大学にトルコ語学科が創設され、ブルガリア科学アカデミーと共に方言研究が盛んに行われた。ガガウズ語自体についての研究はベッサラビアのガガウズ語についてであれば旧ソ連時代のものを含めて音韻・形態論についての記述的研究や民話資料が比較的存在する。しかしブルガリアのガガウズ語については民話資料集等があるもののまとまった研究は非常に少ない。
Kowalskiはベッサラビアのガガウズ語とデリ・オルマンのトルコ語は多くの音韻的・形態的特徴を共有することから一つの方言グループとしてまとめることができると主張する。興味深いのは両者に口蓋化に関しての子音調和など北方的言語特徴が見られるという点である。チュルク諸語のなかで大幅な統語法の変容を伴った言語としてガガウズ語とカライム語があげられるが、その理由はなぜか? ここで再び言語接触という観点も取り入れ、従来手薄であった統語法を重点的に見ることにより従来のグループ分けを含めて再考してみる余地がありそうだ。

4.調査目的

・バルカン・トルコ語について

近年、ブルガリアとトルコの交流が盛んになったことやマス・メディア等の影響により、バルカン・トルコ語も大きく変容している可能性がある。昨年度はトルコ・イスタンブルでブルガリアからの移民の言語の調査を行ったが、実際にブルガリアに居住している人たちの言語はどうなっているかという現状調査が必要である。

・ガガウズ語について

ブルガリアのガガウズ語について近年調査を行った記述資料や音声資料は皆無である。ブルガリアのガガウズ人についての実態について言語面や文化面を含めて調査する必要がある。

また言語学的な問題設定として次のような点に特に留意した。

・ バルカン-トルコ語もガガウズ語も同じブルガリア語の環境の中にあるのになぜ
ガガウズ語のみが著しい語順の変容を受けたのか?
・ バルカン-トルコ語とガガウズ語を区別しうる形態的・統語的差異はあるか?

5.調査の準備

トルコ共和国在住のブルガリアからの移民の方に1999年度に予備調査をした。今回はその人たちが夏期休暇でブルガリアのデリ-オルマン地区へ帰郷するのに同行させてもらうことにした。そこでブルガリアの北東部ラズグラット近郊のイスラム系トルコ人の村でバルカン・トルコ語の調査をすることにした。一方、インフォーマントの同僚で、同じくブルガリア移民であるトルコ人から、以前にブルガリアでの職場の同僚でガガウズ人がいたという情報を知り、本人の上司であるブルガリア人を紹介してもらった。そのブルガリア人と連絡をとりながら、ブルガリアの黒海沿岸の都市バルナ近郊でのガガウズ人の調査の準備をした。


6.調査の概要

7月 22日  トルコより陸路にてブルガリア入国 Razgrad Veselets 滞在
7月 25日 Varna 移動
7月 26日 Kavarna, Volkanesにてガガウズ語の調査
7月 27日  Kantardcievoにてガガウズ語の調査
7月 28日 Brestakにてガガウズ語の調査
7月 29日 ブルガリアより陸路にて出国
7月 30日 トルコ入国

7月22日

早朝、乗用車にてトルコ・イスタンブルを出発する。難関は国境越えである。約3時間ほどでブルガリアとの国境に到着する。早朝に発つ理由は、日中非常に税関が混雑するためそれを避けるためである。日本とブルガリアの間には近年、査証免除協定が結ばれ、査証はいらないはずである。しかし鉄道が通るソフィア方面の国境と違い、車しか交通手段がなく、おそらく国境越えをする邦人も少ないと思われるこのコースで邦人のブルガリア入国がスムーズに行われるのかどうかが懸念された。結果的には1時間ほどで無事通過する。袖の下はブルガリア国籍があっても巧妙に要求されるらしい(金銭だけでなく果物やいろいろなものを含めて)。今回は道路補修という名目でプラス5ドルほどで済んだ。ブルガスを経由してトルコ民族が多数居住するブルガリア北東部デリオルマン地区には昼過ぎに到着。トルコ人の家庭で食事を食べて早朝出発の疲れをとる。食事はやはりいろいろな点でブルガリア風である。まずパンが違う。東欧で良くある堅くて黒っぽいパンがこちらでは普通である。

7月22日−24日

この時期は夏期休暇でトルコに移住していた人たちが、私が滞在していたラズグラット近郊の村(Veselets)に家族で帰郷していた。同行者はトルコへ移住する前の10年前まで村の教師をしていたため沢山の知り合いがいる。老若男女、様々なひとに会い、インタビューを行う。この村は基本的にトルコ人の村であるが、少数ながらブルガリア人も居住している。民族感情は互いに悪くなく、うまく共存している。ブルガリア人と会話するときはブルガリア語を使用する。しかしブルガリア人はトルコ語を理解しないそうだ。村のはずれには数戸のロム人の集落がある。デリ・オルマンに点在する村はトルコ人の集落が多いが少数ながらブルガリア人のみの集落もある。この村で使用されているトルコ語は進行形の形に特徴があるものの、その他の点ではトルコ語とよく似ている(もちろん細かな語彙的・音韻的相違は沢山ある)。トルコ語の一方言という感じであるし、実際にそうだ。トルコ共和国のトルコ語との相互理解可能性という点から見ると、まずこの村を離れてトルコに住んでいる人、この村にずっと居住する高齢者の男性、中年男性女性、若年層男性女性、高齢者女性という順になろうか。興味深いのは高齢者男性のトルコ語は本人に移住歴がなくても非常に聞きやすい印象を受けたことである。逆に聞き難いのは移住歴のない高齢者女性である。バルカントルコ語の話者は世代や性差によってブルガリア語とトルコ語の運用能力の差があるといわれている。例えば高齢者女性はほぼトルコ語のモノリンガルである。しかし外との接触が多い男性はブルガリア語も理解できる可能性が高くトルコ語自体もイスタンブル方言に似ており聞きやすい。逆に言うと地域方言が一番色濃く残っているのは高齢者女性のトルコ語であるといえる。若年層はブルガリア語で教育を受けており、地域社会や家庭内でのみトルコ語を使う。私が会った30代の国語(トルコ語)を教える小学校教師の女性は大学でトルコ語の再教育を受けたそうである。なお村にはモスクがあるものの、住む人たちのイスラム色は薄い。昼間から飲酒をし、豚肉60パーセント入りのケバブを食していた。スカーフをしている女性は高齢者を除き皆無であった。

トルコ風コーヒーを飲むデリ・オルマン−トルコ語の話者

7月25日

シューメン経由でデリ・オルマン地区より黒海沿岸都市バルナまで移動する。途中シューメン近郊のトルコ語が母語であるロム人の家庭に立ち寄る。この家族はロム人が集まる集落に住んでおりブルガリア語とトルコ語のバイリンガルであるイスラム教徒である。50代の男性である本人は自称トルコ人であるが、ブルガリア人の同行者によるとロム人であるとのことだ。イスタンブル方言とほぼ同じ感じのトルコ語を用いる。おそらく仕事上の関係でトルコ人と接触が密であることによると思われる。

7月26日

バルナを北上したバルチックという町で、ガガウズ人を探したところ西瓜を売っていた初老のガガウズ人男性にインタビューすることができた。ブルガリアのガガウズ人との接触は非常に警戒されると聞いていたが、予想に反して非常に好意的にインタビューに答えてくれた。バルチックからさらに北のカバルナ出身の方だった。今まで接してきたバルカン・トルコ語とは言語構造がかなり違う印象を受けた。住んでいるところが黒海に面しているので海を越えてトルコからのテレビ放送が良く視聴できるそうだ。
その後、バルナ近郊のボルカネシュ村に移動し農作物の露天商の女性たちのインタビューをする。70代の高齢者はビデオカメラに収まるのを拒否されたが50歳代から60歳代の人たちは気軽に応じてくれた。自分たちはトルコ人ではなくブルガリア人であるという。また自分達の子供の世代は片言のガガウズ語しか知らないし、孫の世代では全くガガウズ語が理解できないという。ガガウズ語を用いるのは家庭や地域社会のみだが、ブルガリア語も同程度に使用する。したがって彼らのガガウズ語にはかなりブルガリア語の語彙が混在することになる。ここでもトルコからのテレビ放送が受信できるが内容は理解できないそうだ。またこの村に嫁いできたバルカン・トルコ語話者にも会った。明らかに語彙的、統語的差異が認められた。なおトルコ語話者とガガウズ語話者は互いにブルガリア語で意志疎通を図り、トルコ語やガガウズ語は用いない。

ガガウズ人の母と娘 (ボルカネシュにて)

7月27日

ブルガリア人の職場の同僚であるガガウズ人の家族を紹介してもらう。この人たちは40歳代の夫婦で20歳前後の娘二人とバルナ市内に暮らす中流家庭である。彼らの両親はバルナから60キロほど離れた内陸部のガガウズ人の村で暮らしている。夫婦はガガウズ語は片言程度しか理解できない。通常はブルガリア語を使用している。娘達はガガウズ語は全く理解できない。

バルナの北方のカンタルチェボというガガウズ人の村にいく。仕事を引退したと思われる60代男性にインタビューするが、ガガウズ語はかなりわかりにくい。昨日の50代男性のガガウズ語と比べるとかなり差がある。ガガウズの村はバルナ近郊に点在するが、それぞれ方言差があるそうだ。

7月28日

紹介してもらったガガウズ人男性と内陸部にあるガガウズ人の村であるブレスタック村(トルコ名 カラアーチ)に行く。この村はほとんどがガガウズ人から構成されている。村の中心にはキリスト教の教会がある。家畜の豚も飼っており当然、食べる。ここでは事前に訪問することが伝えてあったので様々なガガウズ人のひとびとと会うことができた。また昔の民族衣装の写真なども見せてもらった。70代以上の人はかなり流ちょうにガガウズ語がでるが、60代以上の人は少し苦しくなる。それは適切な単語が思い出せず、ブルガリア語で代用してしまう。40代になると村に住んでいてもガガウズ語はほとんど片言でしか話すことができない。それより若い世代は全く理解しない。家庭内では通常ブルガリア語でコミュニケーションが行われるようである。そうでなければ若い世代とのコミュニケーションは成立しない。ガガウズ語はもっぱら老年層間でのみ用いられる。その場合もブルガリア語との併用で行われる。私が訪問したあるガガウズ人家庭は自分の息子の嫁としてブルガリア人女性が嫁いできていた。そのひとはガガウズ語は理解できないそうだ。

ガガウズ語の音声ファイル WAV形式 約1.01MB カラアーチ村在住 65歳男性

音声ファイルの説明

7月29日

バルナより陸路、バスに乗ってブルガリアを出国する。トルコには翌日の深夜到着する。バルナ−イスタンブル間は二日に一本ほどの頻度で国際バスが運行している。所用時間は国境越えのロス時間を含めて約12時間である。


7. 調査結果

・デリ・オルマンのトルコ語とガガウズ語の間には明確な統語構造の違いが認められる。
 バルカン・トルコ語も現代トルコ語と比較するとかなり語順が自由であるがガガウズ語はさらに自由である。
 形態構造に関してもガガウズ語のみに見られる格配列(例えば二重与格表示)などが見られた。
 これらの詳細に関してはバルカン・トルコ語と対比させつつ別稿にて明らかにする予定である。

・ガガウズ語の話者数は減少傾向にある。モルドバ共和国のガガウズ語の状況とは異なり、書き言葉も持っていないし、若い世代にほとんど継承されていない。このままでは近い将来、消滅する可能性が大きい。

・バルカン・トルコ語とガガウズ語の統語構造に見られる相違はブルガリア語の浸透度合いによるものであろう。つまりトルコ語話者の中には老年層女性のようにほとんどブルガリア語の運用能力が無い世代もあり、その場合のブルガリア語の影響は語彙的なものを中心に必要最低限であろうと思われる。それに対してガガウズ人社会では老年層であってもブルガリア語の運用能力が高い。

・バルナではガガウズ人出身のガガウズ民俗学研究者に会った。ソフィアではガガウズ語自体に対する研究は少ないが、民俗学的観点からガガウズ民族の研究は近年少しづつ増えているそうだ。

以上


*本調査は平成11-13年度 科学研究費補助金 基盤研究A 「ユーラシア周辺部チュルク系諸言語の調査研究」(研究者代表 東京大学 林 徹)により実現した。