醍醐桜が教えてくれたこと
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1.
やや冗長で個人的な前書き
3. 旭川沿いを走って真庭まで 5. とうとう醍醐桜までやってきた
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5. とうとう醍醐桜までやってきた 9時38分、目的地到着。醍醐桜は随分遠く、直に目にする日が来るとは思ってもみなかった。その醍醐桜が、今、自分の目の前にある。見よ!丘の上の見事な一本桜。
屋久杉を髣髴とさせるほどの太い幹が大迫力である。いやぁ、それにしても遥々よくやってきたもんだ♪しかし、浮かれたのもほんのつかの間。うん?何か思い描いていたのと違う。色が煤けているような、なんかスカスカしている。まだ咲き始め?桜情報では3日前から満開だったのに・・・いぶかしく思いながら愛車を降りて、桜に近づく。やはり花付きが良くない。正直がっかりした。まわりの花見客からも感嘆の声より落胆の声の方が多い。花見客の中には何度も来ているらしい人もいて、今年は花付きがよくないという。醍醐桜も貧血なんだろうか ・・・私は2年ほど前から原因不明の貧血に悩まされている。ちなみに、この忌々しい貧血が私の私生活での停滞の大きな要因である。今回、千年咲き続けてきた醍醐桜の力強い生命力にあやかって、貧血が治ってくれればと密かに願っていたのだが、醍醐桜まで貧血とは。何だか少し悲しくなる。 しかし、桜の周囲をまわってみると、きれいに咲いている枝もある。
そして咲いてる一つ一つの花は、千年生きてきた老木から咲いたとは思えないほど初々しい。
そのとき私の頭に浮かんだのは、今年の2月の吉備路マラソンで私が伴走をつとめたKさんの言葉だった。それは「これが本日の精一杯」である。Kさんは視覚障害のある女性ランナーで、歳は還暦を過ぎている。視覚障害があるため一人では走れない。そこで、私が伴走ロープでガイドして走ったのであった。Kさんの伴走はこれまで何度かつとめたことがあったが、今年の吉備路マラソンのKさんは明らかに調子がよくなかった。中盤以降はかなりよれよれ状態で、完走できるか内心心配した。しかし、リタイアすることなく走り切り、ゴール手前では渾身のスパートまでかけた。そんなKさんのゴール後の言葉が「これが本日の精一杯」であった。誰でも体調が良い時もあれば悪い時もある。そして、その日、Kさんは明らかに体調がよくなかったのであるが、その日の自分のできる限りの走りをしたので満足している、と言われた。「これが本日の精一杯」は、そんなKさんの気持ちが込められた一言だった。そして、私の目の前にある醍醐桜も同じなのだと思った。千年も生きていれば、毎年花を咲かせるということ自体が大変なはずで、若い頃のように毎年満開というわけにはいかないのだろう。残念ながら今年の醍醐桜の咲きぶりは、お世辞にも良いとは言えないのであるが、これが今年の醍醐桜の精一杯で、醍醐桜、頑張ってるんだ、と思った。そして思わず心の中で叫んだ。「醍醐桜頑張れ!俺も頑張るから」。私は至らぬ自分を変えるきっかけを与えてくれるだろうとか、貧血を治して欲しいとか、随分他力本願な思惑で醍醐桜を訪れた。しかし、千年生きた老木からすれば、アラフォーの私などまだまだ鼻たれ小僧であり、もし口あらば、「おまえのような若いもんに安易頼られてはかなわん」と言われるであろう。そんなことを思いながら、木のまわりをゆっくり二回りして、私は来た時とは随分異なる心持で醍醐桜を後にした。当初夢想していたような醍醐桜の大いなる力に充たされ意気揚々という感じではなかったが、とにかくすっと背筋が伸びて何だかすっきりした気持ちであった。
よく見ると中国勝山産であり、厳密には醍醐桜のお土産とはいえない。しかし、彼女は素朴な洋菓子が好きで、そうであれば細かなことは気にしない。帰宅後食すと、蕗の風味がしっかりして非常に美味しく、もっと買っておけば良かったと思ったほどであった。また、福渡の駅前で会ったタクシーの運ちゃんお勧めのこんにゃくも美味しかった。私は大のこんにゃく好きであることもあり、おかわりして2本食べた。
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