醍醐桜が教えてくれたこと

 

1. やや冗長で個人的な前書き

  福渡まで輪行 

3.  旭川沿いを走って真庭まで 

. 醍醐桜に至る道 

5. とうとう醍醐桜までやってきた 

6. 帰路

7. 再び福渡に

8. やや冗長で個人的な追記

 

 

8. やや冗長で個人的な追記(関心のない方は画面右上の閉じるボタンをクリック)

 今回、私は40歳を目の前にして、自分を変えたいと思って醍醐桜を見に出かけたのであるが、そのことで、自分が何か変わったのかと自問すると、答えは、「Yes!はっきり変わった」である。私が具体的にどのように変わったかは、ここでは詳述しない。しかし、少なくとも以前のように、時折どうしようもなく鬱屈した気分に苛まれたり、無駄に歳をとりながら生きていると感じることはなくなった。決して人に誇れるような生き方をしているわけではないが、そこそこ頑張って充実した日々を送っていると感じれるようにはなった。この手記を読まれた方の中には、いくら強い印象を受けたからといって、桜一本見ただけで人は変わるのか?と疑問に思う人もいるだろう。私も全く同感である。私の変化は、今年の元旦の走り初めで参った吉備津彦神社で自分を変えることを決意して以降、自分なりに努力と試行錯誤を続け、さらに吉備路マラソンでのさんとの伴走など、幾つかの貴重な出会いに恵まれる中で、徐々に生じたものであるように思う。醍醐桜は、その変化をそっと教えてくれた。つまるところ、私の変化は、(本来の意味とは異なるが)「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書「マタイ伝」)ということなのだと思う。