醍醐桜が教えてくれたこと
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1. やや冗長で個人的な前書き
7. 再び福渡に
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7. 再び福渡に 14時20分頃、朝、輪行で降りた福渡駅に着いた。当初は帰りも輪行の予定であった。しかし、次の電車は15時14分発で、法界院に着くのは15時59分である。まだ足は残っていたので自走で帰っても帰宅時間はほぼ同じだろう。そう考えると電車賃(480円)が惜しく感じ出し、自走することにした。ところが駅を離れようとしたとき、誰かが私を呼び止める。誰かと思えば、朝会った運ちゃんだった。醍醐桜はどうだったかと尋ねられたので、あいにく満開ではなかったが、自分には感じ入るもの考えさせるものがあり行って良かったと、この手記で記したことをごく簡潔に述べた。運ちゃんは、 私の話を興味深そうに聞いてくれた。話し終わった私は、会話はそこで終わったものと思い、再びサドルにまたがろうとした。ところが今度は、運ちゃんが 私の話につられたのか、自分の自然観や趣味の山歩き、さらにはこれまでの職業人生まで語り始めた。かなり人懐っこい性格のようで、私より随分年配だが、笑うと目が細くなりかわいい。山の話はいつか登りたいと思っていた 那岐山の話だったので思わず引きこまれた。仕事の話も大変興味深かった。高校を出てから建設業と運送業を中心にいろんな仕事に就きながらあちこち土地を渡り歩いてきたそうだ。ちなみに、私は彼をタクシーの運ちゃんだと思い込んでいたが、実際はバスの運ちゃんであった。ただし、日雇いなので毎日乗ることはできないという。収入が不安定でないかと他人事ながら少し心配するが、それでも以前のタクシーの仕事よりはよいという。自分とは全く異なる職業人生の話は新鮮であった。しかし、それ以上に新鮮だったのは、彼が本日会ったばかりの 私に、気安く自分の半生やその中で感じたことを語ってくれたことだった。私にも趣味を通じた友人や世間話のできる職場の同僚はいる。しかし、趣味や職場以外の個人的なことを話す人は極めて限られ、それもそれなりの長い付き合いを経たうえでのことである。運ちゃんと話をしていると、いつの間にか電車の時間になってしまった。そのため、結局、輪行で帰ることした。別れ際、運ちゃんが少しはにかみながら、「また、どこかで会えたらいいねぇ」と言った。私もそう思った。ホームで電車を待ちながら、運ちゃんの最後の言葉を思い出し、まるで寅さんの映画の台詞みたいだなと思った。そして、長々と話したにもかかわらず、お互い名前も聞かないまま別れてしまったことに気付いた。 |