消えた轍 片上鉄道廃線跡を行く

 

1. 廃線跡自転車道への関心

2. 迂回路を通って起点まで

3.  一両編成の鈍行列車で聖地巡礼

4. 峠清水トンネルを抜けて金剛川橋梁を渡る

5. 往時の車窓風景を眺めがら天瀬駅到着

6. 数々の遺構を堪能す

7. これぞ聖地巡礼の醍醐味か?

8. 吉ヶ原にて

 

 

1. 廃線跡自転車道への関心

 岡山を自転車で走るようになると、あちこちで電車と並走したり踏切を渡ることに気付く。旭川沿いを走れば津山線、吉備路自転車道なら吉備線、小田川沿いなら井原線、赤穂方面に行くときは赤穂線などなど。そのため、以前は全く電車に関心が無かった私だが、自然とだんだん親しみを感じるようになってきた。本宮高倉山の山頂から眺める遥か眼下を走る津山線などは、おもちゃのようでかわいくて仕方ない。そして 、もともと歴史好きであったこともあり、少し前からは廃線にも関心を持つようになった。関連書籍等を見つけると 、専門的な電車用語はほとんど理解できないものの目を通す。ところで、廃線となった路線の中には、その跡が自転車道になったものもある。なかでも片鉄ロマン街道は、吉備路自転車道と並び、県内の自転車道としては最も有名であるだけでなく、廃線跡自転車道の中では遺構が最も多く残っている。私は片鉄ロマン街道をすでに2回走ったことがある。しかし、その時はまだ電車にそれほど親しみがなく廃線に至っては全く関心が無かった。そのため、ほとんど遺構に目を向けることはなかった。そこで、秋晴れの本日の遠乗りは、久しぶりに片鉄ロマン街道を走り、片上鉄道の遺構巡りをすることにした。
 ここで簡単に同和鉱業片上鉄道(以下、片上鉄道)について述べておこう。片上鉄道は、柵原鉱山の硫化鉄を片上に運ぶ鉄道として名高く、沿線住民の通勤・通学の足としても活躍した。最盛期は昭和30年代である。しかし、その後、硫化鉄の需要減退と陸上交通の発達により貨物運送量も旅客数も減少し 、1991年に廃線となった。片鉄ロマン街道は、その路線跡にできた自転車道である。